転職をどう考えるか(坂口孝則)
先日、ある方から転職の相談を受けました。いかなる職業に就くか、そしてどこで働くかーーは、若いひとたちから離れられないテーマかもしれません。そこで、私の新刊にも書きましたが、ここで「働くということ」「転職するということ」について、長めに書いてみたいと思います。
・雇用者と被雇用者、そしてオーナー
私はかつて、「おじさん」には二つの種類があると思っていました。テレビドラマにいつもでてくる、「指示を与えるおじさん」と「指示に従いがんばるおじさん」です。前者は「お前、売上高を達成できていないじゃないか! もっとやってがんばれ!」と声をだしているおじさんで、後者は「すみません! がんばります!」といっているおじさんでした。
どうも、世の中には、怒っているひとと、怒られているひとが、一つの職場にいるらしい。課長と部長がえらくて、社長がさらに上にいる。ヒラというのが、兵隊のようだ。それが小学生のころの私の理解です。
小学生のころ、夢なるものを書かされました。小学生の想像では、「指示を与えるおじさん」が何をするのかもわかりません。したがって、小学生の夢は、ほぼ「指示に従いがんばるおじさん」となります。医者や先生と書いた生徒もいたものの、おなじことです。
しかし、その二分類が間違っていると気づいたのは、ずっとあとになってからでした。なぜなら、「指示を与えるおじさん」たちを操っているおじさんの存在があるからです。それはオーナーと呼ばれます。
【小学生がみえている範囲】
一般労働者
マネージャー
社長
【小学生がみえない範囲】
オーナー
もちろん、小さな会社であれば、オーナー兼社長兼マネージャー兼一般労働者であることもあります。ただ、「指示を与えるおじさん」の筆頭である社長をさらに操っているオーナーの存在にきづいたとき、陳腐な表現ながら、はっとしました。
考えてみればわかるとおり、自分一人が動ける量には限りがあります。ただし、ひとを上手く操れば、動かせる量は無限です。「指示を与えるおじさん」も「指示に従いがんばるおじさん」も、足し算で仕事をしているのにたいして、「指示を与えるおじさんを操っているおじさん」は掛け算の仕事をしています。おなじ社長でも、オーナー社長とサラリーマン社長とでは、別物です。
この構造がわからないと、あるいは肌身にしみないと、お金を多量に稼ぐ仕組みはわかりません。現在、日本の給与所得者の給与水準が低下しているといわれています。国税庁「平成22年度民間給与実態統計調査」によると、約10年前の2001年に454万円だった給与所得者の年収が、2010年には412万円となっています。もちろんこの水準低下を各企業の売上高低下や利益額低下と結びつけて話すことはできるでしょう。
ただ根本的な理由は、「指示を与えるおじさん」や「指示を与えるおじさんを操っているおじさん」が給与所得者の給与を決定していることです。
(雇われ社長ではない)会社の経営者やオーナーは、累進課税率と法人税率を比較することで最適な年収を自ら決めるいっぽうで、一般労働者はもらった給料のなかから所得税や住民税を支払います。会社と国に首根っこをおさえられた一般労働者は、このような事情からお金持ちになることはできません。それどころか源泉徴収によって「いつのまにか」差し引かれているのが現状ですから、サラリーマンは自分の所轄税務署の場所さえしりません。
ただ、私はあまり所得税や住民税が源泉徴収で引かれているからといって、「サラリーマンは会社の奴隷だ」というつもりはありません。現にサラリーマンは給与所得控除として相当な金額が認められています。もっとも層の厚いところでいうと、360万円超~660万円以下なら収入金額×20%+54万円。660万円超~1000万円以下なら収入金額×10%+120万円です。
たとえば、500万円と1000万円で計算してみましょう。
500万円×20%+54万円=154万円
1000万円×10%+120万円=220万円
みなさん、会社員として1年間すごす必要経費って154万円もかかりますか。スーツや知人との飲み会はそもそも、経営者やオーナーであっても必要経費ではありません。この点では、サラリーマンは恵まれているともいえます。
それに、オーナーも右肩下がりのときには苦労があり、自殺にいたるひともいます。サラリーマンには不満があるのにたいして、オーナーには不安があるのです。私が自分の会社をもち、運営をしはじめたとき、妙な感覚に襲われました。それは、会社員のときに抱いていた「給料をあげてほしい願望」が完全になくなったのです。
月額130~150万円までの給料であれば、一般的には自分に給料として支払ったほうが税金は安いといわれます。だから、かといって月額130~150万円で設定すればいいかというと、会社がその後どうなるかもわからず、売上高が0(ゼロ)の月もありうるでしょうから、給料だけを高くしても大赤字になるだけで、無意味です。
最初は抑え目にしておき、儲かったら増額しようと思っても、それはできません。サラリーマンでご存知のかたは少ないものの、年度内の役員報酬は毎月定額を支払わなければ、利益操作の疑いをかけられます。だから、自由に決めた額を自分に支払えるように、がんばるだけです。自分の給料を10万円に設定するのもよし、100万円にするのもよし、人を雇うのもよし、拡大するも縮小するも勝手――。決定権がすべて自分にあることの、奇妙な重荷が私を襲いました。
ただ、逆にいえば、そのリスクの大きさこそが、自由であることの裏返しであり、自分のさまざまな報酬を自分で決めることのできる権限につながっています。
・転職をどう考えるか
いまの会社を辞めようと考えたとき。とはいえ、いきなり独立・起業するひとは多くありません。既存の会社がいやになったり、人生の方向を変えたりしようとする場合、多くのひとは転職を考えます。
厚生労働省が発表した「平成23年版 労働経済の分析―世代ごとにみた働き方と雇用管理の動向―」を見てみましょう。このなかに「第2節 学卒者の職業選択」があります。これによると、新入社員はいまの会社で「定年まで働きたい」「とりあえずこの会社で働く」と答えた比率は2009年で約60%もあるようです。当数値が発表されたときには、その保守性に私は驚きました。これは転職志向をもつべきだといいたいわけではありません。ただ、会社がいつなくなってもおかしくない時代のなかで、「とりあえず」とか「定年まで」とか答える意識に驚いたのです。
ちなみに、この数字は同資料によると、2000年(同38%)あたりから上昇を続けています。厚生労働省が「長期勤続志向」とよぶこの傾向はたしかにあるようです。これは就職活動が激化していることとも無縁ではありません。さきほど私は<会社がいつなくなってもおかしくない>と書いたものの、逆にそんな不安定な時代にやっと見つけた勤務先であれば、入社時に「せっかく見つけた会社を辞めるものか」と思うのは普通のことです。
ただし、実際の離職率はどうなっているのでしょうか。同調査では2007年に卒業したひとたちの3年以内の離職率を調査しています。その結果では、高校卒で40.3%、大学卒で31.0%となっており、きわめて高い水準を維持しています。たしかに2006年くらいから下落傾向にはあるものの、新入社員10人中3、4人がすぐに辞めてしまうわけです。教育費用は各社バラバラなので一概にいうことはできません。ただし、新入社員の年収を200~300万円としても、最低でもその倍くらいの採用・教育費用をかけているはずです。同報告書では「若者の間では長期勤続志向が高いにもかかわらず、離職率は高く、また、採用計画が上向いても就職率が持ち直しにくいなど若年層の意識や求職動向に関しても、課題を検討する必要がある」とまとめています。
また転職によって年収がどのように変化したかについては、これも厚生労働省を参考にしてみましょう。「平成22年雇用動向調査」にズバリ「転職入職者の賃金変動状況」があります。それによると、前の会社でもらっていた賃金に比べ「増加」したと答えた割合は29.4%で、「減少」した割合は32.3%、「変わらない」の割合は36.7%でした。ちなみに、若年層の転職は賃金増加が多く、いっぽうで45歳以上になると、減少と答えた比率が大きくなります。
正直いって微妙な数字ですよね。
まあ、あがることもあれば、さがることもあるだろうな、程度の常識的な感想しかもてません。このデータからさらに退職金・企業年金・厚生年金制度の有無を加味して、転職は不利だと述べるひともいます。たしかに、退職金の有無では2000万円ほど生涯年収が変わるでしょう。それに転職する企業に厚生年金制度入がなければ(国民年金に加入しないかぎり)定年後は無収入で暮らすことになります。
しかしなあ、と私は思うのです。このメールマガジンをお読みのかたであれば、おそらく転職先として考えているところに、厚生年金制度がないはずはなく、かつ企業年金は報じられているとおりボロボロで、かつ退職金がなければそのぶん年間の賃金に上乗せされた条件をめざすはずで……。退職金は本来なら支払う賃金ぶんから会社が積み立てているものなので、退職金がない=不利ではありません。そしてなによりも、現在の仕事に不満を抱いているひとたちが転職を考えるはずなので、これらはさほど参考材料にはならないでしょう。
・そこで、さらに転職をどう考えるか
よって、ここからは私見を述べます。私が数度の転職を繰り返して考えたことは、転職をしようとも結局のところは場所を替えて「指示を与えるおじさん」と「指示に従いがんばるおじさん」をするということでした。もちろん会社によって年間±200万円くらいの給与差はあるものの、同じような仕事をする以上はさほど年収は変わりません。
日本人の金持ちは大きくわけて、「土地を相続したひと」と「起業し成功したひと」です。前者になれないとしたら、後者を目指し、「指示を与えるおじさんを操っているおじさん」に移行するしかありません。よって、お金持ちになりたいと思うひとがいたら、後者を目指すことになります。
しかし、私は起業家、オーナー、「指示を与えるおじさんを操っているおじさん」がビジネスパーソンの選ぶべき唯一の道だとは思っていません。私も必要におうじて、「指示を与えるおじさん」や「指示に従いがんばるおじさん」になることもあるでしょうし、機会や場面によってそれぞれが有機的にまじわることが望ましいはずです。
話を転職に戻します。
転職がそうじて「ダメだ」とか「素晴らしい」とか決められるはずはありません。転職斡旋起業は、ひとびとが転職してくれれば儲かるから、必要以上に転職熱を煽っている、と批判するひとがいます。しかし、彼らも商売ですし、煽っていることと、みなさんがその流れに乗ることは別物です。
ここでは、転職のメリット、デメリットを私なりに記載してみます。
【メリット】
1. 新たな仕事を覚えることができ、幅が広がる
2. 収入があがる(こともある)。能力をこれまで以上に活用できる(こともある)
3. 距離をもって会社を冷静にとらえることができる
【デメリット】
1. 職場環境が変わり、手続きやゼロからの人間関係再構築につかれる
2. 想像した仕事と異なる場合でも後悔先に立たず
3. 中途採用組の出世や昇進が遅れる(こともある)
この多寡を考えて、決断することになります。この1~3は、それぞれ私見での大きい順にならべました。私はまだ30代ですが、20代~30代では、収入のことはさほど考える必要はありません。ここだけはデータではなく実感としてお話すると、20代での転職は【メリット】1.によるべきで、必死に自分の枠を拡大していけば、おのずと年収はあがります。あるいは、年収が高い仕事を見つけることができるはずです。
私はひとの仕事の能力は「没頭×経験×学習」で決まると考えています。目の前の仕事に無我夢中になること(「没頭」)、そしてプロフェッショナルとして多くの仕事を経験すること(「経験」)、加えて自己の領域で学び続けること(「学習」)。この掛け算です。多くの仕事を経験することと書いたものの、これは転職を必ずしも意味しません。たとえば営業職でも、多数の事業部をもつ企業であれば、社内異動によってこの値をあげることはできます。また、同じ部署でも、さまざまなお客を担当することで同様の研鑽が可能です。
そう考えると、仕事の能力をあげるためには、自己の努力以外では、自分の会社がどれだけの経験を与えてくれる場であるかにかかっているともいえます。古くさい言い方にはなるものの、転職をするのであれば、仕事に没頭しそして学習の努力を重ね、それでも他企業に移ったほうが自己の幅が広がり、自分が社会に提供できる価値があがると判断した場合でしょう。
そして、それらを考えたうえで、それでも転職すべきか悩んでしまったら。私は一つの簡単な指標を伝えます。それは「二つの選択肢のうち、厳しそうなほうを選べ」です。いくつかの選択肢があって悩むということは、その選択肢がほぼ等価でしょう。それなら、困難な道を選択し、一度決めたあとは邁進するほうが良いに決まっています。厳しい道が、転職ならば、「まあ、やってみなはれ」ということです。その覚悟にいたっていないようであれば、既存の仕事に没頭し、喜びを見出すべきでしょう(このへんは拙著「モチベーションで仕事はできない」に書いています)。
めずらしく熱く語ってしまいました。
少しでも参考になったでしょうか。