アメリカ、格差、青い空(坂口孝則)

澄み切った空。乾燥した空気。隣から聞こえる芝刈りの牧歌的な音。

「いつ、アメリカに来るんだ?」。私の隣に座っていたデイブが訊いてきた。「できれば2、3年のうちに。仕事が見つかればいいけれど」と私はいった。

デイブはアイルランド移民の二世で、中国からの移民女性ニーナを妻に迎えていた。私は前職でデイブと関わることがあり、私が仕事を辞したあとも、機会があるたびに会う機会を設けていた。私は、いつかアメリカに住みたい、とデイブに夢を語りながら、実現させることができずにいた。

2011年の5月。調達・購買・サプライチェーンの専門研究機関であるISMの年次総会の帰り。仕事の休みをとって、私はアメリカ・コロンバスのデイブの家に遊びにきていた。バーベキュー用のグリルがセットされた庭に簡易椅子を二つ作って、デイブと私はアメリカの政治から文化、そして、大げさにいえば、今後の人生についてとりとめのない会話を重ねていた。

「実は、3番目の家を探している」。デイブは教えてくれた。「売ることを前提にこの自宅も購入した。だから、自分たちには子供もいないのに、ベッドルームが3つもあるだろう」

デイブは妻のニーナがより広い家に住みたがっていることと、リーマンショック後の地価下落局面では、底値で自宅を購入することの優位性を私に教えてくれた。

「アメリカ人は、現時点の自宅を終の棲家と考えていない」。デイブは、子供を育てたあとは、気候の温暖なオーランドでゆっくりと暮らすことを夢見ていた。

そのころには、デイブは何件目の家を購入することになるだろう。

「日本人の家は狭い」。日本に滞在歴もあるデイブは、私にそう語り、「アメリカに来れば、同額でこの家に住める」と後の建屋を指さした。デイブは3本目のビールを空けようとし、私に勧めてくれたが、私は遠慮がちに断った。

なぜだか、あまり酔わなかったことを覚えている。

隣の家では、まだ17時だというのに父親が帰宅し、子供と芝刈りをして楽しそうに笑っていた。幼い子供がバットを振り回し、母親は遠目で眺めていた。たしかに日本ではもう見ることのない光景がそこには広がっていた。

ひたすら働くだけの自分が急に虚しくなった。

日本では、みな住む場所の制約を受け、仕事の制約を受け、妥協と諦観のなかで日々をすごしている。

しかし、日本人はみな、その不遇を所与として生きるしかないのだろうか。また、ほんとうにアメリカと日本の絶望的なほどの格差を解消することはできないのだろうか。日本かアメリカかの二項対立しかないのだろうか。その解決策は、国家を移動することでしかありえないのだろうか。

空のビールのラベルには「Blue Moon」と書かれていた。「めったにありえないこと」を意味する言葉だった。

私はそこから、自分がどこにいても豊かな生活ができることは「Blue Moon」ではないだろう、と願い、そして模索してきた。

・今のみに生きるということ

以前、アメリカ人女性が結婚するまでに経験するキスの相手が、平均で九十数名に及ぶという話を聞いて驚愕した記憶がある。

おそらく小学生のときに読んだ雑誌か何かで、いまでは正確に思い出すことができない。もちろん、このテの調査は実証的ではないし、その信憑性はさほど期待できるものではないかもしれない。ただ、その結果がさも普通のことかのように書かれていることが刺激的すぎたらしい。そのころのナイーヴな私を驚かせたのは、その圧倒的な数字よりも、記事の文調の「普通さ」だった。その程度の数なら「ありえる話だ」と思っている大人の世界そのものだった。

女性たちはその相手全員に本気だったのだろうか? そんなに運命のひとに出会えないものだろうか? それとも、日本人だってそんなものだろうか――? 幼い私を想像の世界に浸らせるに十分なものだった。

多くはないものの、大学生時代の恋人と結婚に至る例は、ある。しかし、高校時代の恋人同士が結婚に至る例は少ない。中学校あるいは小学校時代のちいさな恋の相手は、ほとんどの場合は実際の結婚相手と異なることがほとんどだ。彼らは九十数人に進むカウンターを、ささやかにノックすることになる。

私はカフェで原稿を書くことが多いのだが、そのときに窓越しに幸福そのものの中高生カップルを見ると、たまに手が止まってしまうことがある。そしてふと「彼らが、別れてしまうことをあらかじめ知っていたら、どうなるだろう」と思ってしまう。彼らとっては、私はバカな大人に過ぎない。それでも、彼らは将来に誰もが一度は経験するように泣いて別れて、そのあとまた違う相手を見つけて、ふたたび同じことをくりかえすだろう。もし、この二人がそんな将来をあらかじめ知っていたら――?

そこまで考えて私はふたたび我に返る。

そんな質問にどのような意味があるだろう。ひとはいつか死ぬとあらかじめ知りながら、それでも生きているではないか。「なぜ生きるのか」という疑問はいつだって青年たちを虜にしてきた。しかし、それに対して万人にあてはまる答えを用意できるというなら、まやかしか狂信者のどちらかだ。すべてのひとの人生をまるごと意味づけることなどできるはずもない。

「彼らが、別れてしまうことをあらかじめ知っていたら、どうなるだろう」――? その問い自体が無意味に違いない。今が愉しい、嬉しい、幸せ、それだけで十分ではないか。それに、その答えは、「それでもつきあい続ける」になるだろう。

若いカップルは、目の前の相手と「あらかじめ別れてしまうとわかっている」としても、「今が愉しい」という一点のみで、いやその一点ゆえに輝く。

ひとは「昔はよかった」という。お金も経験も地位もなかった以前の自分を思い出しては、「あのころは幸せだった」「あのころは愉しかった」という。何か特別な将来計画があったわけではない。何か特別に将来を夢見ていたわけではない。ただただ目の前のこと、「今」に集中して過ごしていたころに望郷のごとき感情を抱く。

いつから私たちは、将来の得もいえぬ不安にさいなまれるようになったのだろう。いつから私たちは、今を愉しむことをやめ、今に集中することもやめ、資格試験を勉強して違う未来を描こうとし、異なる分野で夢ばかり追いかけようとするのだろうか。

資格試験の勉強をしているひとたちは、今に集中し今を愉しんでいるひとを見ると、「あいつらは、いま遊んでいるから、将来は大変なことになる」と侮蔑する。節約の観点では、短期的に浪費するよりも、中長期的な観点から貯蓄することが必要だ。しかし、資格試験の勉強をしているひとたちは、充実と愉しみを先延ばしにして、それをいつか味わうことができるのだろうか。侮蔑と軽蔑は、多くの場合、羨望の裏返しのことが多い。「いま遊んでいるから、将来は大変なことになる」ことが明らかであれば、侮蔑と軽蔑は語られるはずはない。自己愛の本質は、他者への軽蔑だ。とくに、自信のない自己愛は、他者への軽蔑に生まれ変わる。

今を生きること。それが、私たちができるせいぜいのことなのではないだろうか。

高校や大学時代がいちばん愉しかったというひとたちに、「そのときの彼女や彼氏と付き合っていたころ、いつかは別れると思っていた? それとも結婚するだろうと思っていた?」と訊いたことがある。その答えのほとんどは「考えたこともなかった」だった。

おそらく、その答えは当然なのだと思う。

彼ら高校生や大学生は、おままごとのような恋愛の渦中にいる。それが後年からみて、どんなに幼稚であったとしても、その輝きが失われることはなく、むしろ輝く。きっとそれは、幼稚なりに、相手を考えぬいているゆえだろう。相手のささいな言葉の端々、相手のちょっとした行動、相手のさりげない表情。それらから推測する相手の気持ちにあれほど敏感になっていた季節はない。

相手から「求められる」ために、その瞬間瞬間の自分を見失うことが、おそらく私たちの充実に欠かせないものに違いない。

・そして2012年

私たちは漂流者である。得体のしれぬ不安にさいなまれ、今を愉しむことを、常に失念してしまう。

そう書きながら、自分の2011年を振り返る。私は何度、将来なるものばかりに目をむけて、現在をおそろかにしてきただろう。生まれいづる条件と現状から目を逸らしてきた。

私は、<ほんとうにアメリカと日本の絶望的なほどの格差を解消することはできないのだろうか>と書いた。そして、<自分がどこにいても豊かな生活ができること>を実現するべく行動してきた。ただ、少し方向修正が必要のようだ。それは、「現状犠牲のはてに、輝かしい未来がある」と考えるのではなく、「充実した現在の果てに、輝かしい未来がある」と考えることだ。

思えば2011年は、将来のためになるならば、と依頼されるがままにさまざまな仕事を引き受けてきた。そこに、「今を愉しむ」視点は欠如しがちになり、いやらしい計算ばかりが先にたった。

私は刹那主義(今だけでも愉しければ良いとする考え)よりも、永劫主義(長期的に考えて行動する考え)を優先してきた。しかし、ほんとうは刹那でも愉しむことができなければ、永劫的な愉しみなどありうるはずはなかった。

これから、2011年の新年挨拶を修正して書いておこう。

2012年ーー。
ふたたび、私が原点に戻る必要があるようだ。自分が価値あると信じ、かつ自分が愉しいと思える情報のみを発信していこう。メールマガジン「世界一のバイヤーになってみろ!!」を発行しはじめた当初、私にはその確信があった。かつての自分を見習う時期がやってきたようだ。

私は2012年はじめに、「モチベーションゼロの仕事術(仮題)」を発表する。これは、将来に夢を持てなかったとしても、希望がなかったとしても、ただただ<今>を愉しむための指南書である。そして、本書は同時に私自身に捧げられている。将来ではなく、<今>を愉しむためにーー。

私は恒例となった新年一回目のイベントに「調達・購買の攘夷論がこれからはじまる」と名付けた。攘夷論とは、外国人排斥活動というネガティブな意味がある。ただ、同時に国民一人ひとりの誇りと矜持を取り戻す意味もある。将来に対する不安や絶望は聞きあきた。

私は2011年の自分の仕事に不満がある。なぜなら、私が語る将来像はあまりに陰鬱で悲哀に満ちたものだった。悲観論を語れば、ひとは聞いてくれる。ただ、悲観論だけでは明日への一歩は出てこない。いまこそ、悲観論ではなく、楽観論を。そして、<今>を愉しむための言説が必要とされている。

そして、明日の悲観ではなく、今日の楽観と勇気をみなさんと共有できれば幸いだ。言論というものに意味があるとすれば、そのような形でしか、もはや私は信じることができない。

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