ほんとうの調達・購買・資材理論(牧野直哉)
「バイヤーの皆さん、サプライヤーのことを本当に理解していますか?」
あたり前だろう・・・・・・自他共に認める優秀なバイヤーであれば、当然そう答えるだろう。そして、実際に理解できている、と思っているはずだ。その上でバイヤーとしての職責を まっとうし、現在の自らのポジションを築いているはずである。担当しているサプライヤーのことなら、なんでも俺に聞け!それがバイヤーのバイヤーたる存在意義だ!サプライヤーの内実なんて、理解しているに決まっているではないか、 そう思っているはずなのである。
しかし、是非一度立ち止まって、この文章を最後まで読み、その上でもう一度自問自答をして頂きたい。オレは、私は、本当にサプライヤーのことを理解しているのかどうか。あえて言おう。今のバイヤーはサプライヤーを理解できていない。サプライヤーという 、バイヤーにとって唯一無二と言っていいくらい重要なリソースであるにも関わらず、である。
まず、誰でも入手できる公的な三つの数値から作成したグラフを見てほしい。
<グラフ1 図はクリックすると大型表示されます>
このグラフは、企業の接待費支出額の推移と、日本のGDPの推移を表している。棒グラフがGDP、折れ線グラフは接待費と広告費で、昭和63年(1988年)から昨年(平成20年、2009年)までのデータを示している。
「失われた10年」といわれたバブル崩壊以降の日本経済も、なだらかではあるが拡大してい たことがわかる。昭和63年と平成19年の比較では、34%も増加している。不景気が長く続いたにも関わらず、国の経済規模は拡大していたわけだ。(もっとも欧米諸国には、比べものにならないくらい景気拡大 が継続し、経済規模が拡大した国もある)
一方接待費の推移を見てみよう。これはバルブ期に突出した額となって以降、明らかに下降線をたどっている。緩やかな経済規模拡大とは裏腹に、接待への支出は減少傾向を示しているのだ。接待費を減らしたが故(?) に企業業績が好転し、結果企業業績の拡大が日本経済を緩やかながら拡大に導いたのか、ともいえるかもしれない。ここで我々が注目しなければならないのは、結果として企業の接待費の支出割合は、バブル期に対して半分まで絞り込まれているという現実だ。 そして、接待費と同じような性格を持っているであろう広告費は、GDPの推移と同じように拡大しているにもかかわらず、だ。
バイヤーを長くやっていれば、このグラフの推移を、身をもって体験しているかもしれない。私がバイヤーをやり始めた十数年前、12月ともなれば、定時過ぎにそそくさと帰り支度を始めるバイヤーが多かった。人気(?) のバイヤーは、毎日のように方々のサプライヤーから忘年会の声がかかり、ともすると忘年会の回数を競い合うバイヤーもいたほどだ。私は、優秀なバイヤーとは、12月に何回忘年会に誘われるかで決まるのかもしれない、と思ったほどである。以前営業をしていた私は、接待にも比較的肯定的だった。数万、数十万を使って、数百、数千万の商談への糸口が掴めれば安いもの、そう思っていた。そして、本当に糸口に繋がるヒントが得られることも多かった。営業の私にとって、まさに接待(酒)は百薬の長だったのだ。
しかし「失われた10年」と呼ばれる停滞期に、接待は大きな逆風に見舞われる。思うように売上の伸びない市場環境で、企業はあらゆる経費節減の動きを強化した。会社の経費を使って酒を飲むという「接待」が、真っ先に槍玉に挙げられたことは容易に想像できる。そして「虚礼廃止」に象徴されるCSRの流れも手伝って、グラフに示されたような推移を辿ることになる。事実、このグラフに示された期間の多くをバイヤーとして過ごした私は、この減少傾向を、身をもって実感している。2003年以降の景気拡大期でさえも、例えば忘年会の誘いは減り続け、2008年ついにゼロにまでなった。私が担当する購買額は、史上最高であったにもかかわらずにである。
私はここで接待の復活を高らかに叫ぶつもりはない。宴席や、まして金品の提供などはあってはならないものだ。日本の産業構造=加工貿易国という成り立ちにしては、バイヤーという職業が低く見られている原因の多くが、この「接待」に起因すると思うからだ。しかし、あるべき論で接待の良い悪いを判断するのでなく、実態として行われていた「接待」の中で、一体何が起こっていたのか?を考えてみたい。
一般的な接待の形態とは、サプライヤー(受注側)がアレンジして、発注側のサプライヤー選定へ影響力を持つであろうメンバーに対し、酒肴を提供することで、これまで受けてきた恩=発注に対して、感謝の意を示すと共に、将来的な関係の継続、発展を願っていることをサプライヤー、受注側が示す場と位置づけられる。
ドラマでは料亭のような煌びやかな場所で行われる「接待」が登場する。しかし実態としては居酒屋であったり、料理屋であったり千差万別だ。千差万別である理由は、受注側、発注側の取引の規模、出席者の地位にも左右される。酒が進めば舌も滑らかになり、又お互いの会社ではないという心理的な障害が低いことで、ざっくばらんな会話が交わされる。普段だったら言えない話も、酒の勢いを借りて話したりということが起こる。そんな会話の中には、招待された発注者側メンバーの人となりが受注側メンバーの巧みな話術によって明らかになると共に、発注側製品の開発動向であったり、人事の話であったり、競合メーカーの動向、発注側からみた受注側の評価なんて内容が盛り込まれる。受注側からすれば、相手を知るための、営業活動の中心とも言えるような貴重な情報がもたらされるわけだ。
ここで敢えて言いたいこと、それは「接待」という媒体によって、幾ばくかのコミュニケーションが成立し、そこで行われる情報交換が普段の仕事にも生かされていたという現実だ。これはバイヤー側とて同じであろう。同じ時間、ともすると個室の中で杯が酌み交わされていたわけだから、双方黙っていたわけではない。コミュニケーションの成立ともたらされた情報による実際のビジネスへの影響の存在は、疑うべく余地もない。
そして今、事業運営に一定の影響力を持っていた接待を行う費用が、ひところの半分にまで抑制されているのである。接待費は減らされて、接待という媒体によりもたらされていた情報は、いったいどこへ行ったのであろうか 。今回の問題提起のポイントはここだ。接待費は減らしたけれど、じゃぁその代替え手段を設定しているだろうか。それとも、これまで同様に接待が行われていて、ただ表に出なくなっただけなのか 。そんなことはないだろう。コミュニケーションが減って、バイヤーは、サプライヤーはどうやって情報を得ているのか 。普段のサプライヤーとバイヤーのコミュニケーションも、効率化という御旗を掲げた継続的な人減らしによって、双方の一人当たりの負荷は増大し、サプライヤーとの面談時間すらも減ってはいないだろうか。
今回グラフ1で提示した時代に一体何が起こったか 。それはインターネット、パソコン、携帯電話に象徴されるIT革命と呼ばれている。ビジネスパーソンへのいろいろな情報機器の急速な浸透だ。今、電車のホームでは携帯電話を操作している人が多いし、新幹線の車内や、空港でパソコンを開いている人を見ることが普通の光景になった。これは接待全盛時代と大きく異なっている点の一つである。しかし、IT革命による情報機器の進化が、従来のコミュニケーションの代替え手段、もっとはっきり言えば、接待の代替え手段となっているだろうか。
インターネットであらゆる情報が入手できるようになった。メールで、その日に撮影した写真の画像が初めて送られてきた時の驚きと感動は今でも忘れられないし、バイヤーとしては、サプライヤーに関する情報も、会社案内レベルであれば、ネットのホームページを通じて入手できる、とても便利な時代になった。上場企業であれば、決算情報や経営状況を説明する社長の映像まで閲覧可能になった のである。そこで、インターネットで流通している情報の質を考えてみる。インターネットによって入手できる情報は、自分だけじゃなくて他人も入手可能なのである。誰にでも手の届く情報にどれほどの価値があるのだろうか 。ある偉大なる投資家は、公開情報だけで自分の投資判断を行うと言っている。しかし、それは経験に裏打ちされた膨大な知識の産物であって、公開情報に潜む真意を見抜く術に長けている事に他ならない。入手した情報に関する判断であったり、加工能力に、きわだった才能があるといえるのだ。
情報の一番簡単で重要な価値尺度は、どれだけ知っている人が少ないかである。知っている人が少なければ少ないほどにその情報の価値は増す。だから人は時に、お金を払ってまで価値ある情報へアクセスを試みるのである。そして価値ある情報の伝達手段といえば、相互の信頼関係をベースとして、個人間での伝達、言うなれば「口コミ」が多いのではないだろうか 。企業間特に二社間に関係ある内容であればなおさらである。「口コミ」での情報伝達は、限られた閉鎖的な空間で有ればあるほど、活発に行われると言って良い。接待とは、バイヤーにとって貴重な情報収集の場であったはずなのだ。そんなバイヤーたらしめる貴重な情報伝達の場であったはずの「接待」は激減し、未だその代替え手段の構築はできているとは言い難い。そんな状況下で、一体どうやってサプライヤーを理解していると言い切れるのであろうか。
そしてあと二つ、「サプライヤーを理解している」と、躊躇なく答えるバイヤーの本質的な問題を指摘しよう。
理解していると言い切れるには、何らかの信頼に足る情報を持っているはずである。だからこそ自信を持っているわけだ。しかしこの自信の根拠となっている情報も、バイヤーが入手した瞬間から陳腐化が始まる。ドッグイヤーとも呼ばれる変化の著しいこの時代、手持ちの情報が正しいと言い切れるのか。今の状況を正しく認識する為に、何をすればよいのか 。我々バイヤーが確保し、活用し、自社の利益の最大化に汲みするために一番重要なリソースはサプライヤーに他ならない。しかしながら、得られた情報は刻々とその鮮度を失い、鮮度をキープするためのサプライヤーとのコミュニケーションの手段が失われているこの状況で、果たして本当に「サプライヤーのことを理解している」と言えるだろうか。
もう一つ。どんなに接待を重ねて、濃厚な人間関係をベースにして有用と思われる情報を入手したとする。どんなに濃密な関係となっても、所詮サプライヤーとは別会社なのである。どんなに「理解した」と思ったところで、理解の源泉となる、もたらされた情報に恣意的な意図があった場合、得られた情報は正しいだろうか。ここでの「正しさ」の判断基準は、バイヤーが自社の利益に貢献できるか否かの一点 となる。情報が恣意的かどうかは、入手元との信頼関係に依存するわけだが、サプライヤーとバイヤーの関係は、どんなに高らかに信頼関係の盤石ぶりを謳いあげたとしても、結局最後は双方「利益」という果実を奪い合う関係なのである。どんなに厚い信頼関係をベースにしてもたらされた情報であっても、別ソースでの確認、クロスチェックを怠ることはできない。なぜなら、バイヤーが社内へもたらすサプライヤーの情報は、短期的のみならず、中、長期的にも発注戦略には大きな影響を与えるはずだ。バイヤーといえば、コストダウン!原価低減!が主だった任務と思いがちだが、営業・販売側と同じように市場に接しており、外部からのあらゆる情報の窓口になっているのだ。従い、そのもたらされる情報の正確性と鮮度の確保には慎重に対処しなければならないのだ。
ここまで、私が言いたかったことをまとめると、次の3つになる。
1.よくできるバイヤーほど「サプライヤーを理解している」と思うもの
2.接待費の減少を例に、サプライヤーとバイヤーの直接的コミュニケーションの量が減っており、そのことでバイヤーが持っている情報の正確性と鮮度が落ちてはいないか?
3.サプライヤーとは「別会社」であり、バイヤーの立場ではその関係性から理解し得ない部分が存在し、バイヤーはそもそもサプライヤーのことを半分しか理解できない。
さて、もう一回聞いてみる。あなたはサプライヤーのことを本当に理解しているだろうか?
私は思う。「別に理解していなくてもいいじゃん」と。そして「理解できていない」状態の程度、その状態にバイヤーがどうアクションするかが問題ではないかと。
「理解できている」という自信の影には、過信・慢心が見え隠れしないだろうか。よく考えて欲しい。バイヤーとサプライヤーのコミュニケーションは、量的に減少しており、質的にはなんら改善されていないのである。そんな状態で「理解できている」と言い切ることができるのか。理解できている状態が、過信であり盲信だったら、どんなリスクが存在するのか?少し考えてみて欲しい。こうやって今バイヤーの置かれている環境を見ていくと、バイヤーにとって今、サプライヤーはわかりづらくなっているのだ。
わかりづらいと言う前提に立って、私はここで、「ボイス・オブ・サプライヤー」という、とてもシンプルなアクションを提案する。先に掲げた3つのポイントに解決策となるアクションだ。その言葉の意味通り、サプライヤーの声である。バイヤー、発注側としてサプライヤーの声に耳を傾けようというものだ。「サプライヤーとのコミュニケーションはとっているし、今現時点でも声は聞いている!」と、読者の皆さんは思うかもしれない。しかし、もう少し 我慢して読み進めて欲しい。
実際皆さんが購入している製品の製造に、どれだけの人(何人)が介在しているか知っているだろうか?
優秀なバイヤーであれば、サプライヤーの工場に足を運んで、製造工程を見学した経験はあるだろう。どんな工程なのか、を思い起こせるバイヤーも多いだろう。しかし、原材料の受け入れから、サプライヤーの工場出荷まで、どれだけの人が介在しているのか、について、正確に答えられるバイヤーがいるであろうか。
「介在」とは、実際にものづくりを行う人だけではない。サプライヤー側の設計担当者であったり、発注側からの発注書類やデーターを生産計画に織り込んだり、原材料を購入手配したり、完成した製品を梱包したりといった、とにかくバイヤーとして購入する製品の製造にたずさわる全ての人である。サプライチェーンとの観点では、それら全てがリソースであり、コストの発生源でもある。バイヤーが話をするのは、サプライヤーの営業担当者であり、設計担当者であり、品質保証の担当者ではないか 。実際にコストを発生させているのは、その実際に会って話をしている人ではなく、その先のサプライヤーの社内にいる人たちなのだ。そんな人たちが、日々やり方で、どんな問題意識を持って仕事をしているか 。そんなことを聞いてみたくはないだろうか?それはサプライヤーの真の姿を垣間見る、初めの一歩となるのだ。