あったはずの人生(坂口孝則)

到着した瞬間に、なぜだか「戻ってきた」と思う空港。白と青のグラデーション。スターバックスとクッキーの臭い。次から次へとやってくる旅行者やビジネスマンたち。円状に広がる出発ゲート。かつて迷い込んだ複雑なターミナル群。誰かは早口で電話口でまくしたて、違う誰かはこのまま溶けてしまいそうなうつろな目で何をすることもなく遠くを眺めている。

数ヶ月前。私はシカゴ空港に到着し、待ち合わせの時間までしばらく空港内をぶらついていた。2年ぶりのシカゴ空港だとはいえ、さほど変化があるわけではない。7年ほど前から繰り返しやって来た空港は、いつもどおりの喧騒を感じさせてくれた。

シカゴ空港に降りると、いつも「あったはずの人生」について思いを巡らせてしまう。

だいぶ前。そう、あのとき。この空港に到着するとともに、日本に電話をかけていた。どんな用事かというと、たわいもないことだ。その先には、いつもの彼女(ひと)の変わらない声が聞こえてきた。「無事に到着したよ」とだけいうと、私は「じゃ、また連絡する」と付け加えて電話を切った。「また連絡する」、といったものの、いつものことながら、忙しさにかまけて出張中はほとんど連絡することはなかった。

かつて私の勤めていた企業の米国拠点がシカゴの近くにあった。何かの会議か、何かの現場訪問が主たる目的で、成田からシカゴまでの長距離を私は繰り返したのだった。そのときの経験は、この場では繰り返すのはやめよう。良い意味でのアメリカ人のおおらかさと、悪い意味でのアメリカ人の適当さに翻弄された。ただ、そのどちらの意味であっても、いまとなってはもう良い思い出になっている。

その後、繰り返し業務に飽き、そして将来の不透明さに耐えきれなくなって、私は仕事を辞めることになった。あのまま仕事を続けていたらどうなっていたのだろうか、とシカゴの空港でつい思いを巡らせてしまった。

「どうなっていたのだろうか」と私は述べた。それは仕事だけではなかった。帰国後、私は成田から電車を乗り継ぎ、自宅に帰宅した。帰路のおわり、スーツケースを転がしながら、自宅を眺めると、ほのかな明かりが見えた。自宅のトビラを開けると、女性が眠っていた。カギを渡していたから、彼女はいつでも入ることができた。「ただいま」と小さな声でささやいてみても、女性は気づかない。

長旅の疲れをシャワーで洗い流して、一人でビールを飲んでいると、女性が目を覚ました。「いつ帰ったの?」、「1時間前」、「帰る前に連絡してくれたらよかったのに」、「メールした」、「ほんと? ごめんなさい」、「いいよ、また寝たら」。

いつもの会話だった。

そんな他愛もない会話をしているときに、一度、彼女が泣き出したことがある。

私は、なかなか彼女を相手にすることができず、仕事にだけ没頭していた自分を責めはじめていた。「もしかして、俺が何かした?」。そう質問してみたはいいものの、彼女からの返答がなかった。ぐすり、ぐすり、と泣き出して、しまいにはその涙が頬をつたって床にまで流れはじめた。

窓から眺める外の景色は雨模様になっていた。

「せっかく待ってたのに、なんで帰ってきたって教えてくれないの?」と彼女はいった。「ごめん」と私はいった。数カ月後に彼女はいなくなった。この話は拙著(「激安なのに丸儲けできる価格のカラクリ」)でも書いた。

私が後悔しているかというと、そうではない。ただ、雨の日に思い出すエピソードの一つではある。

彼女は涙目で天井を見ながら、何を感じて、何を考えていただろう。

くだらないエピソードをもう一つご紹介したい。

私は数年前にある会議室にいた。「キミの力が必要なんだ」「しかも、キミのキャリアにおいてもプラスになる」。目の前の男性は私に力説していた。男性はわざわざ私のところに、仕事の誘いをしに来てくれていた。アメリカに行って、いま進行中のプロジェクトの調達担当者になってほしいという。やるのはすべて一人っきり。自分の決断で進めてくれていい。問われるのは結果だけ。

私はそのとき書籍を出したばかりで、日本に残ってさまざまな仕事を抱えていた。運良く次から次に書籍のお誘いが来ていたので、それをこなすつもりでいた。しかし、それを言い訳に断るのも惜しい。

「考えさせてください」といって会議室を出た私。どうすべきか……。結論は出ずに、ビールを飲みながら、答えのでない問いをぐるぐると頭で巡らせていた。すると、その夜に「坂口さん、新刊が増刷することになりましたよ」と出版社から連絡があった。

正直にいえば、私はこの連絡が来なければアメリカ行きを決断していたように思う。もちろん、出版社からの連絡がすべてを決めたわけではない。しかし、「このまま日本に残って、やらねばいけない仕事がある」と考えたのも事実だった。その後、私は10冊を出版し、メディアに出るようになった。

あるとき、テレビ番組に出ていたときのこと。番組中のVTRで、その企業の取り組みや先進性を伝えるものが流れた。アメリカの様子や、製品の素晴らしさを報じていた。私は突然ショックを受けた。そこに私は、スタジオにいるのではなく、そのVTRに映っていたであろう自分を投影していたからだ。もちろん、どの道が良かったなどと総括できる年数ではない。ただ、それでもなお、違った道があったのではないかと思わせるにじゅうぶんだった。

まさか、あの人が出るのではないか。そう思ってドキドキしたのを覚えている。司会者は私に「どうしました?」と訊いた。「いえ、なんでもありません。進んでいるな、と思って」と返すのがせいぜいだった。

これも、私が後悔しているかというと、そうではない。ただ、上手く表現できない残滓だけが私を支配していた。これを心残りというのだろうか。おそらくそうかもしれない。

ただ、人生を二回経験することはできない。この「どちらが良かったのだろう」と悩み、そして、自分が選んだ道こそが良かったのだ、と思い込もうとするプロセスこそ、人生を哀しくも輝かせる要因なのではないだろうか。

人は一度決断したことを遡ることはできない。その単純な真実こそが、私たちに、逆説的に生きる活力を与えるような気がするのだ。

みなさんの「あったはずの人生」に乾杯を捧げながら、同時に「まさに今の人生」に祝杯を捧げたい

無料で最強の調達・購買教材を提供していますのでご覧ください

あわせて読みたい