ロクでもない自分だからこそ成功する自分革命

小学生のころ、たとえば体育の時間に「お友達を見つけて二人組になってください」と教師がいうのが嫌だった。というのも、私は、誰かに声をかける勇気がなかった。それは他の状況でもおなじで、積極的に明るく話しかけることができなかった。

だから、いつも、最後に残り者になっていた。

そして、これはいまでも変わらない。パーティーに行くのが嫌いだ。だって、それまで知らない人に、話しかけることなんて難しい。だから、はしっこで、スマホをさわったり、あるいは、ただただ酒を飲んだりすることしかできなかった。

残念ながら、これは幼い私の子どももおなじようだ。そんな場所ではモジモジして、ただただ時間が過ぎるのを待っている。息子にとっては不幸だろうが、同じような性格を引き継いだと思ってもらうしかない。

社会人になったとき、電話がいやだった。メールも普及し、誰もがもっているにもかかわらず、かならず電話をしてくるひとがいる。私は電話を受けるのも、かけるのもいやだった。

そして、社会人はある種の躁状態を要求される。いつも明るくて社交的。でも、それは嘘であるにもかかわらず、そのような態度を要求されていた。ただちに、見知らぬ人と友だちになり、そこで社会人的コミニュケーションをとらねばならない。私にとっては地獄だった。

繰り返すが、いまでも苦手な度合いは現在でも変わらない。見知らぬ場所に連れて行かれたら、すぐにも出ていきたい感情にとらわれる。どうすればいいのだろうか。どうしようもない。

ただ、そのなかでも、20代の私が考えついた結論がある。きっと自分の性格は変わらない。だから、突然に社交的になれるはずはない。ということは、自分の実力を高めて、「声をかけてもらえる人間」になるしかないのではないか。いまに至るまで、結局はその考えで生きてきた。

自分はどうしようもなく積極性がないから、話しかけてもらうしかない。

そう考えると、自分の実力を高めるのはたやすい。なぜなら、ほとんどの人たちは、自己研鑽よりもコミニュケーションに時間をかけている。飲み会に行ったり、あるいは、交流したりと、その時間の大半をコミニュケーションに賭している。

私は、そのような能力にかけていたので、ただただ、オタク的に「他人から見て、話しかける価値のある人物であろう」と能力を構築してきた。その戦略が正しいかはわからない。でも、なんとか、「あ、坂口さんだ」と話しかけられる機会が増えてきた。

この個人経験を一般論に昇華するのは早い。しかし、それでなお、コミュ障のみんなは、私の戦略が使えるのではないかと信じている。つまり、欠点は治らないから、諦めろ。そして、実力を伸ばせば、コミュ障でもなんとかやっていける、というエールだ。

これは正しいかはわからない。でも、人生的闘争をかけた、私なりの闘い方だったのは間違いない。

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