犬山紙子さんについて

今日、日テレ「スッキリ」でご一緒していた犬山紙子さんとは最後の仕事となった。

正直にいっておけば、週刊SPAでの連載は読んでいたものの、私自身はさほど熱心な読者ではなかった。ご本人と会ったのは、相当前の懇親会だったと思う。しかし、実際にご一緒するようになってから一年の感想を書いておきたい。

犬山さんの仕事は、ライトなエッセイよりも、むしろ、哀しい事件があったときに、その被害者と寄り添う点に価値があったように思う。コメンテーターとは、まさに「口だけ」の仕事であるものの、なにかを発言することで、その悲哀が共鳴しあい、悲しみのしずくを縫う細い糸になる可能性がある。

幼児虐待であっても、なんであっても、現代の不幸とは、あわただしく流れ行く日常の中で、報道は毎日のように対象を求めさまようものの、悲しみはずっとそこに停滞していることにある。そして、報道だけではなく、社会も、そのあわただしく流れ行く日常ゆえに、時間を少しも止めようとしない。

そのときに、発言を一過性のものとせず、つねに社会に訴えつづける態度こそ重要だ。しかし、文化人といわれるひとたちは、その発言対象の多さゆえに、失念せずにはいられない。

ただ、それは、事件の貧しい消費にすぎない。悲哀と、その事件が繰り返されないように試みる教訓の学習は、その流れを断ち切って、深い思惟の果にこそ実現される。

その意味で、犬山さんは、一つの事件をきっかけに、さまざまな発言を社会に訴えていた。対象を流しつづける私からすると、それは畏怖の対象として映った。

そしてそれは、ひたむきに自分の可能性を拓こうとする彼女の姿勢からくる輝きであることを、私は知った。

犬山さんは、「負け美女」で世に出た。「美女」とは、自分のことではないというものの、そのミスリードを意図的に誘う作戦であってのは自明だった。

何かの敗北を胸に生きていくことは、その敗北体験を打ち返す過程で、その精神的な闘争を受け入れ、さらに無垢になれない現実を生きながら、やはり傷つきやすさを意図的に失念していく道程でもあるといえる。

犬山さんは、エッセイでよく「成功者の男性がイタい」様子を書くことがある。また、「非成功者も、おなじくらいにイタい」様子も書く。そして、共通するのは、そんなに若くない男性への、愛情に似た観察眼だ。

きっと、どんな男性であっても、その円熟とは、朽ちていく自分のそれを、ゆっくりと認めることではないだろうか。女性であっても、男性であっても、輝く時代だけが人生ではないし、輝きつづけることだけが、生きていることではない。そして、ずっと輝こうとしている男性たちを、馬鹿にするのではなく、微笑ましく見てあげることこそ、正しい態度ではないだろうか。

そして、観察者としても、理想を追い、さらに、理想に破れ、その挫折後に自己肯定できるようになってこそ、人はゆっくりと円熟することができる。それゆえに、犬山さんが、児童虐待などに、使命感をもって対応しているように、私には思われる。つまり、イタい男性を笑って書くのも、そして、その笑える前提となる社会の成立を強く迫る(虐待追放など)のも、きっとご本人のなかでは、おなじだったにちがいない。

そろそろ秋になる。

輝く時期とともに、その後の、下る季節をも味わえるようになってこそ、秋を美しいと想うことができる。

そしてそれは、自身の経験を、社会的な意味があったと意味づけ直す工程が不可欠だ。人生は直線ではない、という気付きが、他者だけではなく、社会全体への優しさへ昇華される。

私は、犬山さんを、秋を美しいと想うことができるひとだと思った。すごく抽象的だが、私は、そのようにしか表現ができない。

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