「忙しい」という言葉のもつ力(牧野直哉)

私は自分で「NGワード」を設定しています。自分では決して口にしない、と心に決めている言葉です。実際に、私とお仕事をされた方であればご理解いただけると思いますが、一番口にすることを躊躇う言葉が「忙しい」です。そして、反対の意味で「私は暇です」というフレーズを一日に何度も使います。これは、自分が実際に置かれた状況、忙しいかどうかとは関係なく、意識して使っています。

ただし、状況によっては、あえて「忙しい」という言葉を使うこともあります。残念ながら興味を持てないし、会社として求めていないリソースしか持たないサプライヤーからの面談申し入れを断る場合や、仮に会ったとしても自分がつらい思いをするだけで、得るものを見いだせない場合です。ただし、そのような状況はきわめて希です。基本は、どのような方でもお会いすれば学ぶべき点があると考えているためです。

そして、口癖とも言える「暇です」という言葉も、あえて使わない場面があります。最たる場面といえば、年間数回は行われる上司との面談です。以前勤務していた会社では、人事面談に際して、自分の業務内容に関する自己申告を行っていました。その際に業務量の質問があるのですが、私は常に「やや過重である」にマルをつけていました。特に、これ!という理由は無いのですが、暇であると似た状況を表す「余裕がある」との部分にマルは打てませんでした。実際に余裕は無かったのがその理由です。

では、なぜ口癖のように「暇です」というのか。これは、他人へ言うことで起こる相手へのそして自分への影響を期待していること。そして、自分の周囲で尊敬できる身近なスゴイ人は、総じて「忙しい」と言わないという、私にとっては確固たるリサーチの結果によるものです。

最近、毎週の様に全国の商談会に行っています。そこで、サプライヤーの担当の方とお話をするわけです。そこであえて「暇です」といえば、サプライヤーの担当者はどのように考えるでしょうか。商談会という、売りこみたい、売りこまれたいと人間が集う場である、との前提があれば、「一度、お時間を取っていただいて、詳細のご説明をさせていただきたいのですが……」となります。実際の商談会では、一回当たりに割り振られた時間が、12分~30分です。その時間で、双方のすべてを理解するのは無理です。せいぜい「当たり」をつける程度で精一杯。であれば、次の機会を設定しやすくするためにあえて「暇です」といえば、面談の申し入れも断れなくなる、そして相手は面談の申し入れを言いやすくなる(かな?)と思っているのです。

「暇です」ということで、私に会っていただく事に時間を割いていただくことへのハードルを低める効果、そして「暇です」と口にする最大の効果は、断りづらくなる、なんとかやる方法を自ら考えるわけです。

私の尊敬する友人の一人に聞いてみたことがあります。いわゆる業務のヤマにさしかかったときに、それ以外のいろいろな事が重なったらどうするのか。するとその友人は躊躇なく答えました。「徹夜してでもやる」と。実際に、この友人は、それまでにも何回か「いろいろな事」をやるときに、徹夜したことがあるそうです。私はその友人の発言に見いだした「覚悟」に感動し、自分もそのようになりたいと願っています。そう思って「暇です」と言い続けることにしているのです。

「忙しい」ともう一つ、同じレベルで使うことを躊躇うNGワードがあります。それは「バタバタしている」です。この言葉は、そもそも置かれた状況がよくわかりません。バタバタとしていて、落ち着いて事に取り組めないという意味なのでしょうか。忙しいよりも他動的で、ある意味「たちが悪い」とすら感じます。

「忙しい」「バタバタしている」に共通していることは、同じ時間を過ごす相手や、何かを依頼された相手に対して「できない」という意味を含むことです。それは今かもしれないし、将来に渡っての話かもしれない。でも、できないのであれば「すみません」というお詫びの言葉とともに、いつだったらできるのかを併せて言う。もしくは、そもそもやる気がありません、という自分の意思を明確に提示する必要があるはずです。ところが「忙しい」とか「バタバタしている」という言葉に、「いったいどこがどのように忙しいのですか」とか、「どの辺がバタバタしているのですか」とは、なかなか言い出せない。会話のキャッチボールを切る力を持っている。そして将来の「やる」ことをあやふやにする効果すらあるのです。良く耳にする使いやすい言葉かもしれませんが、良好な関係を継続する上では、何事も曖昧にする強いマイナスの効果を持っている、そんな風に考えているのです。

逆説的に考えてみます。デフレが進んで、需要が少ないと言われているこの時代に、グローバルでの競争も加わった中、「忙しくない」人っているのでしょうか。皆等しく、それなりに忙しいはずです。皆等しく忙しい中であるから、他人の時間を使うことになる面談の申し入れに際して「お忙しい中すみません」という相手への配慮が生まれる。そして、少しでも相手に費やして頂く時間を少なくする為に、簡潔にわかりやすくとの工夫が生まれる、と私は考えます。そして、皆が等しく「忙しい」時代であるからこそ、「暇です」と口にすることに、他人との違った印象を持たせることができないか、そのように私は考えてもいます。

そして最後に、これは「当社調べ」の域を出ない内容です。「忙しい」「バタバタしている」と言われた場合、それは言外に「私にとって、あなたの優先度は低いですよ」といったことを表しています。そのような事を相手にいう必要があるでしょうか。自分の中では、その重要度や緊急度を元に明確にやるべき事へ優先順位をつけるべきです。しかし、それはあくまでも自分の中の話であって、相手の優先順位の中での自分は常にトップであることを望むべきです。忙しい、バタバタしているということで、相手のモチベーションが下がり、結果巡り巡って自分の相手の中での優先順位を貶める原因となっているのです。

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