「海外へ行かなくなった若者」に思うこと 2(牧野直哉)

4月に新聞紙上で話題になった「海外へ行かなくなった若者」をテーマにしました。そのような若者はほんとうに存在するのか、をネットで様々なデータを検索し、海外へ渡航経験のある20~29歳の割合は減少していることをお知らせしました。

では、なぜ若者は海外へ行かなくなったのでしょうか。

巷では、海外へ行かなくても近場(=国内)で楽しんでいる若者像が取り沙汰されています。また、消費を好まない世代として分析されることもあります。ここではもう一歩踏み込んで、なぜ海外でなく近場で、消費を好まなくなったのかを考えてみます。

このページを参照してみてください。

20歳から29歳の平均年収の推移です。20歳代前半、後半の男女それぞれの給与額の推移が、1997年から2008年まで掲載されているページです。

(金額単位:万円)
20歳代前半    1997年    2008年   増減

男       307      264   △43(△14%)

女       258      232   △26(△10%)

20歳代後半    1997年    2008年   増減

男       413      378   △35(△8.5%)

女       311      294   △17(△5.4%)

この期間での、給与の減少傾向は、全ての世代に渡って認めることができます。しかし、50歳代前半男性の同じ期間での減少率は△9.1%です。20歳代前半男性の△14%は、すこし飛び抜けて減らされた数値と言う事ができます。

そしてもう一つ、このページを参照します。

消費者物価指数の推移を見ると、総合値で、1997年1月が101、2008年1月が100.7と、給与額の変動に対して、変動の幅が少ないことがわかります。この2点を考えあわせると、給料は減っているのに、生活費は変わらないことで、海外旅行に振り向ける部分に一番しわ寄せられて減少している可能性がご理解いただけるでしょう。

そして1997年から2008年までの間に、どのような変化が起きたでしょうか。実は、海外へ行かなくなった若者について論じているブログでは、海外旅行のみならず、支出全般に切り詰めを行っている若者の姿を伝えるものもあります。そして唯一、支出が拡大しているのが、携帯電話の通話・パケット代に代表される通信費です。世帯に一台であった電話が、個人持ちになることで、通信費の割合が増大しているのです。

給与は減り、生活費全般を切り詰める。一方、ケータイ・パソコンに代表されるICT技術を活用する支出は増大する。海外旅行と同じように、最近の若者は車も買わなくなったとされています。しかし、ここまで見てきたとおり、先立つものが減っているのです。行かなくなった・買わなくなったのではなく、行けなくなった・買えなくなった可能性はないでしょうか。先に提示した20歳代の給与の減少額を見てください。17万円~43万円という数字は、年間の車のローン総額と、任意保険等の諸経費額であり、一回海外旅行へ行くための支出の額に相当すると考えるのは無謀でしょうか。そして、さらにもう少し考えを深めてみます。20歳代の給与額を決めているのは誰でしょうか。

企業で働く20歳代の給与を決定するのは、多くの日本企業の場合、30代以上の世代です。50歳代前半の減少率が9%台です。バブル以降の景気低迷を、失われた10年とも20年ともいいます。その景気低迷の影響を、人並み以上に受けている世代が20歳代であるとしたらどうでしょう。そのことを、責任有る世代が、海外へ行かなく無かったとか、車を買わなくなったと喧伝することが許されるでしょうか。20歳代という多感な世代から、海外旅行という貴重な経験を奪ったのは30代以上の世代にあるとも考えられるのです。

日本人全体の海外渡航者は、ここ十年でほぼ横ばい(2003年のSARSよる減少の影響を除く)といえます。若者の渡航者が減っているのであれば、若者でない上の世代の渡航者は、相対的に増加しているのです。これまで働き続けた私の先輩に当たる世代に、海外へ行くなとは言えません。しかし、そのような世代が一方的に今の若者は~と論調することを認めることもできません。

この問題は、一朝一夕に解決できる問題ではありません。そして、本有料マガジンの読者の皆さんは、バイヤーとして必要な情報を求めご購読いただいています。前回の19号から引き続き「海外へ行かなくなった若者」について、ほんとうなのかと、インターネットで得られる情報で分析を試みてきました。私は、少なくとも「行かなくなった」のでは無いと考えるに至っています。

このような真実を検証する事は、海外へ行かなくなった若者論にとどまりません。インターネットに接続できる環境にあれば、いろいろな文献・データへのアクセスが可能です。今回の記事も、インターネットにあるデータからある仮説を立てるに至っています。最近では、自分でいろいろな検証を行った事で、一流の新聞が書いていることを疑うということを行っています。一流の新聞とは、我々が長年に渡ってすり込まれてきた権威です。しかし、その権威も最近その存在感に疑問を呈する論調が目立っています。

2011年に新聞やテレビが消滅はしないでしょう。しかし、地方紙では夕刊を廃止して、なおかつ値上げを行うような動きが見られます。発行頻度を下げて、一回あたりの価格を上げるという、およそ商売のセオリーから外れた、非常識そのものです。値上げの理由にはこうあります「記事のクオリティを維持するため」と。日本が高度成長を実現させた源泉を担ってきた製造業を支えた人からすればありえない発言ですね。品質の維持向上など当たり前の話。そして今ほど品質の維持向上と適性コストのバランスの見極めが難しい時代はありません。コストや採算を度外視すれば、品質の向上を行うことは、容易です。市場価格という縛りの中で、市場に受け入れられる最低限の品質を実現することが難しい。日本のGDPの4割を占める製造業が、当たり前に立ち向かっている困難から逃げている、それが「海外に行かなくなった若者」という虚像を生んだ一部の新聞であり、マスコミなのです。

バイヤーが接する最も身近な権威、私は過去の購入価格ではないかと思います。自分が決めたもの、前任者が決めたもの、誰が決めたにしろ、社内のデータベースに存在する数値は、目安として、そして今発行しなければならない注文書へ記載する数値に、バイヤーとして一番シンプルで、確固たる自信を与えます。日々の購買業務の繁忙の中で行われる実績単価での発注に、いちいち疑問を呈すること、都度価格の妥当性を検証することは、現実的ではないでしょう。ただし、その権威である実績単価を100%疑わなくなってしまうことは、バイヤーの本分をはずれることに他なりません。経済情勢が日々刻々と変化することは、サプライヤー側で発生するコストも日々変動している、その事を踏まえれば、実績価格だから発注してよいという判断を行って良いはずが無いのです。

何事へも疑ってかかることは、いろいろな事実を検証するという、自分への大きな負荷です。しかし、その事を怠っているマスコミが2011年に消滅すると喧伝されている事実を忘れてはなりません。我々バイヤーが、2011年以降も、バイヤーとして活躍し、日本経済を支えるためには、身近にある権威に疑問を持ち、事実を検証することが不可欠なのです。

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