セット価格含まれているものから考えるバイヤーの職業的意義(牧野直哉)
先日、マイホームの購入で幸せいっぱいの友人と話をしました。最終的な施工業者との打ち合わせの後だったためか、いつも以上に饒舌に、夢のマイホームを語る友人。そんな姿を微笑ましく思いつつ、ああ悲しいかなバイヤーとしての性を出してしまいました。その時の会話を再現してみます。
私 「ところでさ、火災保険とかどうしているの?」
友人 「なんか、見積の中に入ってたよ」
私 「内容とかさ、確認しなくて良いの?」
友人 「だって、担当の人が大丈夫って言ってたよ、セット価格でお得だって」
私 「何が大丈夫なんだろうね……」
友人 「……(無言、そして顔が曇る)なんか担当の人が言ってた気がするなぁ~安くてお得ですよって・・・火災保険ってそんなに種類があるの?」
私 「まぁ、どんなリスクがカバーされるのかを決めないといけないはずだけど……」
友人 「たいした金額じゃないし、今度聞いてみるよ(顔に明るさが戻る)」
この後に火災保険について思い起こすことはないだろうなと印象づけられる笑顔が戻っていました。
私は既にマンション購入を経験しています。同じように、一生のうちで一番財布のひもがゆるむ瞬間を体験しているわけです。今思い返すと、
「なんでこんなオプションをつけたんだろう?」
なんて、当時の精神状態であろう浮かれポンチ状態を示すような、家具・設備、それも当時の購入価格はやたら高額!なものがあります。したがい、私の友人の振る舞いを批判はできないし、幸せそうな友人を見るのは私自身の 幸福でもあります。そして、せっかくの語らいの場に、この話題が再び登場することはありませんでした。
ここでバイヤーとして問題にしたいのはセット価格という言葉に潜む効果と、高い/安いとの判断基準の陥りやすい罠についてです。
まず、セット価格に潜むものついて。
この有料マガジンを一緒に運営している坂口さんの著書である「激安なのに丸儲けできる価格のカラクリ」には、セット価格を売る販売側の思惑についての記述があります。坂口さんは、あるファーストフードの例に、詳細 な分析を行ない、販売側のねらい、思惑を解き明かしています。重要なのは、セット価格とは、まず販売側へのメリットが必ず存在することそして。当然、購入者である我々消費者へのメリットは存在するかもしれない、ということです。
これをファーストフードでなく、日々の業務の中で起こりうることへ置き換えてみます。サプライヤーへの見積依頼を行いました。見積内容は5つの品目。使用先は同一とします。そして、サプライヤーから提示された見積金額が、一式10万円であったとします。そんな見積を見たバイヤーは、早速サプライヤーへ電話します。
バイヤー 「見積ありがとうございます。一式で10万円ってことですけど、価格の明細はどうなっていますか?」
サプライヤー担当者 「あ、それセット価格なんですよね。だから、個別で買うよりも、お得な金額ですよ」
この後、バイヤーとして、どのように切り返すべきでしょうか。さきほど、坂口さんの本でご紹介したとおり、セット価格には買い手側のメリットも存在するかもしれません。しかし、売り手側のメリットは確実に存在します。で、なければ、売り手はセット価格を持ち出すはずがありません。
バイヤーであれば、セット価格=安いかもしれないという、あやふやな状況のままにすべきではありませんね。異なる性格を持つモノ・サービスを同じサプライヤーへ見積依頼する場合、見積依頼の段階でこのような内容を付加する必要があります。
「次の×点の見積は、一式表記でなく、個別に価格提示をお願いします」
もし、見積依頼をこのように行っていない場合、この瞬間から上記の一文を見積依頼のメールに、FAXへ追加することをお勧めします。そして、この有料マガジンをお読みの志の高いバイヤーの皆さんは、既にそんなこと行っているはずです。それでは、サプライヤーから次のような見積書を受領したとします。
1.××× ¥24,000.-
2.△△△ ¥12,000.-
3.□□□ ¥46,700.-
4.○○○ ¥34,800.-
5.※※※ ¥ 9,300.-
合計 ¥126,800.-
値引き △26,800.-
見積金額 ¥100,000.-
やっぱり見積金額は10万円です。しかし見積書によれば、既に26,800円値引きを行ったことになっています。記載された見積金額126,800円からは、約21%の価格が除かれた計算になります。ここでの問題は、ほんとうに21%もの値引きがおこなわれたのかどうか、です。
ここで確認すべきは、1~5の個々の品目の、見積金額から21%を除いた金額での妥当性です。バイヤーの持つ査定能力を目一杯つかって、妥当性のある金額かどうかを追求します。
ここで、私が思ったことを正直に書きます。
個々の金額の査定、少し億劫ではないでしょうか。私は、この億劫と思う気持ちを呼び起こす魔力が「セット価格」という言葉に潜んでいるのではないか、と常々考えています。従い、億劫と思わないように、簡単に価格査定が行えるように、いろいろな情報収集を行ったりする、過去の購入実績価格を集める、そうして蓄積された情報に容易にアクセス・利用できるよう日々、心がけています。蓄積された情報に容易にアクセスし、活用することで、見積金額をフィルターにかけ、妥当性を追求するひとつの手段を持つに至っています。
そしてもう一つ、価格に関する高い、安いに関する判断基準です。
先に提示した見積の明細では、金額で一番高額な46,700円と一番安価な9,300円には5倍もの差があります。この二つを比べれば、9,300円は安いですよね。誰の目で見ても明らかです。しかし、ほんとうに安いのでしょうか。
こうやって価格を並べることで、項目どうしの価格の高い、安いが判断できてしまいます。判断できてしまう、と書いたのには理由があります。元々、上記の見積金額に記載された5つの価格の比較を行う必要があるのかどうかです。様々な見積依頼の中で、基本的な仕様は同じ。大きさであったり、出力であったりが異なる場合、このような見積書を依頼し、受領するケースは一般的です。しかし、生産数量や、材料歩留まり、はたまたサプライヤーの持つ生産能力であったり、サービスの提供能力であったりは、すべての見積品目へ同一に影響を与えるものではありません。管理費率としてそう見なしているに過ぎないのです。
しかし、バイヤーとしての仕事に費やせる時間には限りがあります。したがって、どこかでバイヤーとしても「見なす」ことが必要になってきます。「セット価格」という言葉には、この「見なす」ことを、早々に行わせるという効果もあります。早い段階で妥当性を確認したとバイヤーに思わせる効果です。
ここで、冒頭の火災保険の話へ戻ります。マイホームを納入するのですから、支払いの決断に至る金額のレベルは数千万となります。そして一方、火災保険は数十万です。仮に1千万と10万円とした場合、火災保険は1/100のレベルです。しかし、10万円とは、内容を確認することなく支払うことを了承して良い金額でしょうか。大きな買い物をする際、相対的に小さな金額でセットされるモノ・サービスの金額には、より注意深くなる必要がある、そう思えないでしょうか。
世の中には「セット」という言葉があふれています。それは、あたかも購入側の利便が大きいように謳われています。実際に、セットすることで売り手、買い手双方のメリットを拡大させている場合もあります。しかしバイヤーとしては、最初の「セット」という言葉に惑わされることなく、淡々と妥当性を追求するというシンプルな姿勢以外に、適正な価格を追求する事はできません。
セット価格という言葉に含まれているもの、それは購入決定という決断を促す心理的な効果です。確かに、ファーストフードで空腹を満たす際には、妥当性云々よりも、食べることで得られる満足感を優先させることに異議はありません。しかし、冒頭に示したマイホーム購入価格にセットされた火災保険の例では、価格の対価である保証の範囲と内容を確認することを放棄しているように見えます。
私がバイヤーになりたての頃、「自分の財布からお金を支払う気持ちで買え」と先輩から言われたことがあります。しかし、私はむしろ逆ではないかと思います。価格の妥当性を追求することで得られたノウハウを、普段の生活へ利用する方が、遙かにメリットが大きいのです。我々が行う「買う」という行為には、大きく二つの側面が存在します。生きていく糧を得る、そして買うことによって快楽を得るという2つの側面です。個人での「買う」という行為には、どちらか一方の側面だけでなく、往々にして両方の性格を持ち合わせています。
人生には、いろいろな「買う」場面に遭遇します。幸いにして、バイヤーは価格の妥当性を追求する術をもっています。何を買うかによって、どのように対応すればいいのかという具体的な手段を持っているわけです。そして、セット価格という言葉に踊らされて良い場面、セット言葉の持つ魔力にとらわれてはいけない場面、その二つを区別できる冷静な判断力があれば、より多くのメリットをえることができます。冒頭の例では、決して「セット価格」という言葉の魔力にとらわれて良い場面ではありません。確認することで金銭的なメリット、もしくは災害という大きなリスクへの安心を得ることができるのです。バイヤーとは、そのように有意義な職業である、そんなふうに私は考えており、終わりなき価格の妥当性追求の旅を続けているのです。