ほんとうの調達・購買・資材理論(坂口孝則)

美人とは何か。

これまでいくつもの定量的な評価基準を設定しようとする試みがなされてきた。目鼻や口の位置、それぞれが点数付けされ、美人の点数が決定する。

しかし、それらの試みが成功したためしはない。何かを選択する、何かを選定する、というとき、それが人間という仲介物の存在を前提とするならば、どうしてもそこに恣意性が内包される。

前回は、QCD評価の限界について述べた(ちなみに、この号から読んでいる人も理解できるように書く)。

QCD評価においては、各サプライヤーを絶対的な点数によって評価するものがある。○×△という印象で評価するのは曖昧だ。各社を比較によって決めても曖昧だ。

だから、各社に絶対的な評価で点数をつければいい。そうすれば、どのサプライヤーが優れているかわかるはずだ。

そのように考え、各社はQCD評価において、点数をつけることにより実施しようとする。

たとえば、このような評価軸があったとしよう。

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QCD評価といっているが、実際にはQCDD評価の場合だ。これは多くの企業で見られる評価軸である。QCDD、すなわち品質部門、調達・購買部門、生産管理部門、設計部門のそれぞれが点数をわりふるものだ。登場サプライヤーはA社、B社、C社の三つ。各部門は、図を見ていただいたような選好がある。

そこで、もっともすぐれたサプライヤーには3点を。次には2点を。最下位には1点をつけるものとする。さて、これを純粋に評価しようとしたらどうなるだろうか。このような結果になるはずだ。


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A社とB社が同点になる。おそらく、その次はA社とB社のどちらがよいかを考えることになるはずだ。

しかし、ここで設計部門が狡猾であればどうなるだろう。C(調達・購買部門)とD(生産管理部門)は、どうもB社を選びそうだ。なぜなら彼らはA社よりも、B社を好んでいるのだから。

しかし、そうなると困ったことになる。設計部門としては、B社が選ばれてしまうのが最悪だからだ。そんなところに製品を任されてしまってはどうしようもない。

ここで、設計部門は一つの妙案を思いつく。「自分たちの選好をねじまげればいい」というものだった。設計部門は、その老獪さから、自分たちの評価結果を詐称することを思いつく。

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この結果、どのようなことが起きるだろうか。

これまでB社と同点だったはずのA社が、それだけの操作でなんと1位に輝くのである。設計部門からしてみると、たしかにもともと選択したかったC社を選ぶことはできていない。ただ、まだマシなA社を選択することはできたのである。

この例では、設計部門が自らの好みを恣意的に変更することによって、結果を変えてしまった。もちろん、実際には設計部門ではなく、品質部門がこのような作為を働く可能性もあるだろう。品質が最悪なサプライヤーよりも、まだマシなサプライヤーを選択したほうが、はるかに自部門にとって優れているからだ。

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このようにQCD評価を点数付けによって実施しようとしても、それが他部門との関わり合いや、選好が存在する限り、いかようにも操作可能となっている。

各部門がどのような点数をつけようが、それは一任されているとすれば、その操作はより容易になる。やはり、QCD評価は絶対的に正しい結果をもたらすことはできないのである。

しかし、とあなたは思ったかもしれない。この方式では、まだ「絶対的な点数による評価ではないのではないか」と。選好によって3点、2点、1点を与える方式ではなく、(たとえば)100点満点でサプライヤーを評価すること。選好によらず、そのサプライヤー1社として評価することで、正しい順位がわかるのではないかと。

そう思って、今回の例を嘲弄した人もいるかもしれない。

しかし、選好によらず、あくまでサプライヤー1社を100点満点で評価したとしても、誤謬が生じるのである。QCD評価は、正しい結果をもたらすことはできない。

次回には、なぜそのような方法でQCD評価を実施しても、それでも正しくないかを説明する。繰り返しだが、バイヤーにとって「サプライヤーを選定する」ということはもっとも大きな仕事だから、これを強調する必要性がある、と私は思う。

サプライヤー選定とは、正しさではなく、意思によって決まるものなのである。

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