ほんとうの調達・購買・資材理論(坂口孝則)

・QCD評価の限界と民主主義の限界その2

なぜ、QCD評価は常に誤謬を内包してしまうのか。前回からの続きだ。

ここで、前回のおさらいをやってみたい。

ある企業内でバイヤーをやっている佐藤太郎が主人公だ。彼は、ヒートシンクの調達を担当していた。佐藤は、海外調達を推進する役割があったため、いくつかの海外サプライヤーの見積を入手したところ、「中国アルミサプライ」というサプライヤーを社内で推薦することにした。 

しかし、海外のサプライヤーを使うなど、なかなか社内関係部署が合意してくれない。そこで、QCD評価を行ってみることになった。方法は、ある提案者が述べた、このようなものだった。

「部門内でも、どちらにすべきか意見が分かれているようです。これは たいへん難しい選択なのでしょう。そこで、たまたまこの会議には、Q(品質)部門、C(コスト)部門、D(開発)部門、D(生産管理)部門が、それぞれ20人参加していらっしゃいます。そこで、それぞれの 領域について挙手で選定してみませんか?」 

結果はこのようなものであった。

このような結果だったので、やはり佐藤が推す「中国サルミサプライ」に決まるかに思えた。

しかし、である。やはり、社内の多くは海外調達に反対したい。そこで、ある人がこう再提案した。

「これは、やはり納得がいきません。挙手してその数で決めるのは乱暴ではありませんか? やはり相対的にそれぞれの領域を評価したほうが良いと思います」

この「相対評価」の方法が次に実施されることになった。それぞれの部門が、両社を比較しながら再度評価してみようというものだ。すると、結果は次のようなものだった。

こうなると訳がわからない。当初は勝っていたかのように思えた「中国アルミサプライ」は負けてしまっているからだ。すると、「○を数えると、日本ヒーティングになるのではないか」という人まで出てきた。

そこで、さらに誰かが提案した。

「そもそも、国内の日本ヒーティングと海外の中国アルミサプライだけを見ていたために、われわれは理非曲直がわからなくなっているのではないでしょうか? もう1社を比較検討することで、より広い視野から俯瞰できるはずです。たしか、調達部門は、いくつも海外サプライヤーから見積もりを入手しているはずだ」とその人は言う。

佐藤は、しぶしぶもう一社、見積を入手していた「中国熱逃社」というサプライヤーのデータを提示することにした。ただ、ここはもともと、D(納期)やD(開発)が弱いために、調達するに値せずと事前に除外していたところだ。そこで提案された手法は次のようなものだった。

・「日本ヒーティング」、「中国アルミサプライ」、「中国熱逃社」をそれぞれ相対評価し、その際に順位付けする
・そして順位に従い、点数を付与する
・1位は3点、2位は2点、3位は1点というように、ちょうど順位の逆になるようにし、総得点が高いサプライヤーを選定する
・順位づけは各部門に任せるものの、できるだけ定量的に評価すること

その結果は次のようなものであった。

やはり日本ヒーティングが勝ってしまった。「なるほど、正確に評価すると、やはり国内サプライヤーが勝つに決まっている」。佐藤は、そんな感想が聞こえた。おかしい、と佐藤は直感的に思った。しかし、佐藤は有効な反論ができず、会議室を去っていく。

ここまでが前回のおさらいだ。


・QCD評価の根本的欠点は、民主主義の不完全性とつながっている

私は、佐藤の失敗を次のような教訓にしてみた。

・相対評価では「もっとも優れたものは選ばれない可能性がある」
・そもそもQCDD評価は絶対的に正しい結論など導けない

というものだ。この佐藤の失敗は、より深いところにつながっていく。佐藤は違和感を抱くまではよかったものの、その違和感を言語化する能力に残念ながら欠けていた。

バイヤーならば、覚えておいた方がいい。これは経済学や社会学、論理哲学のなかで論じられてきた「アローの不可能性定理」というものだからだ。難しいことではない。これは、そもそも民主主義がシステムとして根本欠陥を抱えていることを証明したものだ。

民主主義とは最高の政治制度である。ただ、その「最高」とは、他の制度と比べて、という意味にすぎない。究極の政治制度ではない。そんなことを述べたものだ。

まだ話が蒙昧としているかもしれないので、一例を出そう。

たとえば、共和党の候補と民主党の候補が一人ずついたとしよう。普通であれば、投票の結果、民主党の候補者が勝つものとしよう。ここには何のパラドクスもない。しかし、もし民主党の候補が二人いたとしたらどうなるだろう。アローはここに注目した。

二つの政党の好みを聞かれれば、多くの人たちが民主党支持であるにもかかわらず、民主党の候補者が二人であるという一点が制約となり、民主党の支持票が二つに割れてしまうのである。結果として、なんと多くの人が支持しない共和党の候補者が勝利してしまう――。

これをアローは、民主主義のパラドクスという文脈で「不可能性定理」をつくりあげた。

さきほどの佐藤の例でいうのであれば、大枠では海外調達のほうが優れているという結論にもかかわらず、「日本ヒーティング」、「中国アルミサプライ」、「中国熱逃社」という3社の相対評価としてしまった。「中国熱逃社」という候補の出現により、なんと「日本ヒーティング」は相対的に高い点数を獲得してしまったのである。結果、「中国アルミサプライ」社の持つ「海外調達」の利点があるにもかかわらず、「日本ヒーティング」は勝利してしまうのである。

これを克服するためには、各社の各項目を、相対評価ではなく絶対的な評価とすることだ。1点、2点、3点ではなく、絶対評価である。○×△ではなく、絶対評価が必要だ。そうすることで、投票行動のような倒錯を回避することができる。

・評価とは、評価である以上、人間の恣意性から逃れられない

ところで。

現場のバイヤーであれば、おそらく知っているだろう。「QCD評価なんて、そもそも恣意的なものだ」ということを。

たとえば、QCDDを絶対的な点数で評価してみたとしても、その結果がどうであれ、どのサプライヤーを勝利させることもできる。今日もどこかで、バイヤーが恣意的な操作を繰り返していることだろう。

その方法は、

・そもそもどちらかが勝利するような評価軸を設定する(たとえば、開発力が弱いサプライヤーを勝たせようと思えば、Dの評価軸を削除する等)
・特定の因子だけを倍にして評価するなどの操作を行う

などである。よく見かけるのは、Cの点数を2倍にして評価する、などという方法だ。私は、このような態度を否定しようとしているのだろうか。あるいは肯定しようとしているのだろうか。

両方である。

もちろん、QCDDによって公正な評価が期待できるとする態度はあまりに「ナイーブ」だ。ただ、QCD評価や民主主義の誤謬性を知らずに、「結果ありき」の行為を繰り返すことにも、私は与しない。

何かを評価する、ということ自体、誰かあるいは特定部門の主観と恣意性が必ず紛れ込む。バイヤーには、このQCD評価や民主主義の誤謬性を知ったうえで、社内を良い方向に導いてほしい、と私は思う。

「QCD評価や民主主義は不完全である」。ただし、これを指して私は悲観的になりたくはない。これを利用して、社内を籠絡することはできる。不可能性定理を利用して、自己の目標とする結論に導くことは可能だ。

それが褒められた態度かどうかは個人の倫理観にお任せするしかない。しかし、会議とは、結論をほんとうのゼロからつくりあげるべきものではなく、意図と狙いをもって全体の合意をとりつける行為であることは強調しておきたいと思う。

「中国アルミサプライ」を勝たせようとすれば、まず各点数の絶対的な評価を行ってもらい、かつ事前に「中国アルミサプライ」の強みを係数掛けする仕組みをつくっておくことだ。そして、ウィークポイントが結果に影響しない操作を「あらかじめ」構築しておく。

繰り返す。これは優れた手法で、かつ褒められた態度かどうかはわからない。

しかし、そもそも「何かを決める」というプロセスの仕組みを知り、その結果の必謬を把握していることはたいへん重要なことだ。

そして、その必謬性は、民主主義と同様に、誕生のときからあらかじめ自明のことだったのである。

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