いつまでもバイヤーと思うなよ
「また、いつかの機会にでも」
人生を変えようと思ったら、劇薬は必要じゃない。
そのバイヤーはことあるごとに同僚に声をかけられた。
バイヤーは声をかけられるたびに、その同僚の机のそばに歩いていく。
そして、いくつかの作業をやってあげる。
すると、「うわあ。ありがとう。ねえ、ねえ、さっきのどうやったの?」と訊かれる。訊かれるから教えてあげる。しかし、数日後には同じ質問が、同じ同僚から投げかけられる。
そりゃそうだ。「どうやったの?」と言っても、本当に知りたそうなわけじゃない。メモもしていない。覚えられないのは当たり前だ。でも、そのバイヤーは何回も教えてあげる。
何のことか。
エクセルの作業のことだった。
そのバイヤーは徹底的にエクセルを習得し、いつの間にか誰よりも詳しくなっていった。
作り上げる資料に含まれる数々の関数。作業は、おそらく誰よりも速い。だから、次々に同僚が訊いてきた。
ある日のこと。
「週に一回、仲間を集めるので、バイヤーに有益なエクセルのテクニックを教える講座を開催してください」と言われる。
バイヤーは即引き受ける。たくさんのことを教えた。宿題も与えた。
しかし、一つだけ想定外のことが起こる。
回を重ねるにつけ、欠席者が目立つようになった。
「今日は忙しいんです」ある同僚は言う。
「突然、用事が入っちゃって」ある同僚は言う。
そして、ある同僚はこう言った。「いやあ、やっぱり挫折しちゃって。また、いつかの機会にでも」
そのバイヤーはもう他者に教える熱意を失っていった。
・・・・
そのバイヤーは私だった。
バイヤーならば、輸入の知識よりも、英語よりも、交渉力よりも、エクセルの能力が100倍重要ではないか、と私は常々言ってきた。
エクセルの上手い下手で作業時間が何倍も異なってくるという事実がありながら、「パソコン苦手だから」という理由で敬遠し続けているのは愚の骨頂でしかないからだ。
しかし、その話は今日は置いておこう。
私が言いたいのは、バイヤーの積み重ねる力、についてだ。
現在、「一日30分ずつでも続けたら、成功できるよ」という内容の本がヒットしているが、私は違うと思っている。
一日5分で良い。
一日に5分でも良いから、何かを続けて学習することができたら、半年で全く違ったスキルを身につけることが可能だ。
天才とは一日で成り立つものではない。
毎日少し、毎日少し、徐々に、徐々に。積み重ねて、気づいたら「周囲に比べて優秀」という状況になっている。そのことを「天才」と呼ぶのだ。
何よりも、一日のうちで「とにかく何かをやり始める」ことよりも賞賛されるべきことはない。
・・・・
ときに、驚くほど博学なバイヤーに出会う。
製品知識から業界知識、製法や工法、開発知識。そんなこともろもろだ。
あるとき、私はとあるバイヤーと商談の場で同席したことがある。
すると、彼の口から出たサプライヤーへの発言が含蓄にあふれていたこと。「ここの工法はこうやった方が良い」「この部品を使うくらいなら、あそこの部品を使った方が安い」
商談が終わったときに、私は彼に訊いてみた。「いつの間に、そんな経験をしたのですか?」
彼は普通の顔で言った。「ああ、1週間くらいで社内資料に出てきた単語を暗記しました」
たった、それだけだった。しかも、60ページくらいの技術資料を覚えたのだという。
「ええ、1週間だけで?」と驚く私に彼はこう付け加えた。
「だけど、高校のころって、世界史の莫大なページ数を一夜漬けで覚えていたでしょう?」と。
なるほど。
バイヤーとは、高校時代の一夜漬けを実践するだけで、抜きん出ることができるのか。
通常のバイヤーは高校生以下なのか。そう思い当たったのである。
・・・・
冗談ではないのだ。
日々、5分ずつでも良いから何かを学習すること。
それがいやならば、せめて高校時代を思い出して一気に学習してしまう。
それだけで周囲を引き離すには十分である。
日本人は良い習性を持っている。それは「加齢とともに給料が間違いなく上がっていくから、加齢とともに学習しなくなる」というものだ。
私たちはなんと良い国に生まれたのだろうか。
加齢とともにライバルたちが勝手に阿呆になってくれる先進国などなかなかない。
これは皮肉だろうか。
それとも冷徹な分析だろうか。
あるいは的外れの戯言か。
そこには、高校生という社会に出る前の準備段階の熱意の方が、社会に出てからの熱意を遥かに超しているという逆接がないか。
ならば、その逆説を超えろ。
アカデミィに。
ドラマツルギィに。
プロディジィに。
「バイヤーは、高校生になれ!!」