クイーンの評価は地に落ちていた

クイーンの再評価が高まっている。私は中学生くらいから、さまざまな音楽を聞いていて、ノイズ、メタル、などにいたる。

クイーンについては、四十代の男性ならたぶん賛成いただけると思うけれど、仲間はいなかった。聴いている、と公言する知人はいなかった。面白いのは、スレイヤーも、セパルトゥラもファンはいたけれど、クイーンはいなかった。

なんというかね。すごく、良い意味で、マニアックというか、キワモノというか。スタンダードとして、聴かねばならない音楽としても認識されてなかった。

これはけっこう重要で、メタラーとか、ノイズ野郎でも、ツェッペリンの4とか、ストーンズの山羊のスープとか、フロイドの狂気とか、「興味はなくても、基礎教養として聴いとこう」という共同幻想があって、誰もがそれらを聴いていた。でも、クイーンは、それらにラインナップされていなかった。

たとえば私は一枚を除いてクイーンのアルバムを聴いていたけれど、誰も語ろうとはしなかった。「あ、聴いたことあるよ。でも、詳しくわかんないなあ」っていうのが、正しい状況記述なんじゃないかと思う。

あと、バンドで再現しにくい理由もあると思う。ピアノ、コーラスがなかったらバンドで演奏できない。それに対して、同時期のパンクとか、ジャリロックとかはバンドでやりやすかった。クイーンは、知ってるけど、コピーはしないよね、という感じだった。

私は、クイーンのアルバムを一枚除いて聴いた、といった。それも深い理由なく、たんに、近くのレンタルCD屋さんになかったから、という理由による。で、演奏うんぬんではなく、世界観を作ったのが凄いんであって、それ以外ではない。

ギターやっているひとは、コード進行を見てみると、けっこう面白い。「あ、たぶんこれ、ギターで作ったな」とか「これはピアノで作ったな」とか、かなりわかる。ピアノで作られた曲は進行が面白い。

私はクイーンを、変な点から評価している。それは、大衆に寄り添った点だ。他のバンドは、ロックファンに向けて曲を作り、くだらんギターソロに時間を費やしたり、メロディーを作りこまなかったりした。しかし、クイーンは、常に、多数の大衆を相手にして、その中から、通好みの音楽を志向した。私は、この姿勢こそ、学ぶべき最大の内容じゃないかと思う。

なぜか。それは、フレディマーキュリーの人生の史実を曲げてまで、面白いプロットに仕上げた映画にも反映していると私は思うのだ。

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