大企業脱藩日記⑨
大企業を辞めてから1、2年の取り組みについて書いてきた。取り組みというよりも、七転八倒、苦悶の記録だったように思う。今回は、メディアとの関係について書いておく。もしかしたら、テレビやラジオ、そして雑誌等に出たいひともいるかもしれない。
まずテレビというのは、わかりやすい業界で、声がかかると「先日、あの番組を見ました」いわれる。テレビは一発勝負のメディアだから、なかなか新人の文化人を採用できない。安全なひとを選ぶ。そのときに「ああ、このひとなら話せるな」と思われると声がかかっていくシステムだ。何かのニュースや企画があるとする。そのときに、ディレクターは、熟考の末というよりも、知っているひとに電話するからだ。
そのとき、疑問が浮かぶ。では、出たことがないケースは、どうやってテレビから声がかかるのだろうか。私の感覚では、「ラジオを聞きました」「雑誌で読みました」のニパターンがある。では、ラジオや雑誌に出るためには、出版しているか講演しているか、にわかれる。だから、もし独立してみたかったら、まず本を出しなさい、というアドバイスはそこそこ妥当なように思う。
私の場合は、「牛丼一杯の儲けは9円」という本で、ラジオ出演につながった。そして、その書籍の取材を受けて、雑誌の連載のようなものをはじめた。また、違う何かの講演を聞きにきてくれた日経ビジネスの副編集長が連載を打診してくれ、それがさらに仕事につながる、といった様子だ。
それにしても、取材、というのを想像してほしい。最初はドキドキしてどうしようもなかった。あなたの前に、記者とカメラマンがいるのだ。そして、あなたの書いた内容や、あなた自身について訊いてくる。もちろん上手く答えねばならない。世の中には二つのタイプがいる。熟考しないと答えられないひとと、その場で話しながら理屈を構築できるひとだ。前者の場合は、けっこう厳しい(もちろん訓練しだいでなんとかなる)。ただ、うまく答えられたら、記者が編集部に戻って「あのひとは、いろいろ答えてくれそうだ」となれば、違う記者から別企画のときに取材を受けるだろう。
たとえば、あなたが独立してブログに「電機業界の調達に」ついて書いたとする。それを見た日経ビジネスの記者が話を聞いて記事にしたい、と申し入れがある。取材当日、そもそも電機業界はどうなっているのか、とか、歴史的推移とか、調達構造とか、海外事情とか……さまざまな観点から訊いてくる。もちろんわからなければ「わかりません」といえばいい。でも、あまりに答えられないことばかりだと、記者の目に「ハズレた」と文字が映っているはずだ。かくして、その記者氏は二度と前に現れなくなる。しかし、これは現実なのである。
とはいえ、いっぽうで、思わぬつながりもある。私はある著者の本を絶賛したことがあるのだが、その記事を読んで、そのひとがラジオに呼んでくれた。別にそのひとはパーソナリティだったわけではない。単にゲストだったのだが、もう一人のゲストとして私を呼べ、と進言してくれたらしい。さらに後日、ノーギャラで対談の仕事を引き受けたら、それを聞いていた編集者が連載を依頼してくれた。
さて、独立したひとから「出版社を紹介してください」とか「私も連載をしたいのでメディアを紹介してください」とかいわれる。そのとき、かなり注意せざるをえない。というのも、書籍の編集者と話すと「長く付き合えるひとはほとんどいない」という。一冊はなんとか絞って書けるけれど、二冊目、三冊目、と続かない。雑誌などの連載もおなじだ。いま、私は東洋経済オンラインと日経ビジネスオンラインで2年間くらい連載をしているし、日経ビジネス本誌でも定期的に書いている。しかし、雑誌のひとと話すと、「たいていは5回で終わりです」と聞かされる。ようするにネタが枯渇してしまい、続かない、という。だから、ネタを仕入れ続けられるかは一つの要素なのだ。
またテレビに出たい、というひとに、あるプロデューサーがこんなことをいっていたので、参考までに記す。それは「その日のトップニュースなどを、そのひとに突然ふってみるんですよ。『これについてどう思いますか』って。そうすると、単なる感想をいえるひとすら少ないんです。解説してくれるひとはまれ。さらに自分の専門分野にからめて説明してくれるひとになると、ほとんどいません」。だから、テレビに出たいひとは、まずトップニュースを眺めてから、自分なりの意見(コメント)をどう発せられるかを訓練したほうがいい。
メディアの仕事をしていると、たまに、「ああ、直接このひとに会えるなんて」と思うこともある。ただ、それを継続するのは大変だ。私が思うに、メディアの仕事を続けていられるひとは、勉強熱心なひとが多いように思う。