袖の下を握らせて仕事で成功する方法(坂口孝則)
調達担当者をやっていたころ。あまりにお世話になってしまった営業のかたに、お礼にプレゼント(和菓子)を送りました。すると、「社内規程で受け取れません」と、そのまま返送されてきました。なるほど、さすがしっかりした会社だな、と思ったのは事実。しかし、同時に、「そこまで徹底するべきか? 送り返された側の気持ちは複雑だな」とも思いました。もう一社、私が知るところは、お土産をご持参いただいても、絶対に受け取らないそうです。
そして幾星霜。私はいま、接待をする側にもなりますし、される側でもあります。わかるのは、接待を受ける側が、それほど過敏になる必要はないし、接待する側も、さほど気を使う必要もない、といったことです。もちろん、会社によっては倫理規定もありますし、完全に接待をするもされるも否定されるかもしれません。でも、そのときでも、自腹を払っても接待をしたほうが良いと私は思います。
かつて某有名弁護士の口癖に「アメリカの訴訟費用と、日本の接待費用は同じだ」というものがありました。なぜ「某弁護士」といったかというと、私が調べる限り、その数字は正しくないからです。ただ、いわんとすることはわかります。アメリカは法廷で、日本人は料亭で、仕事や家庭の結論をつけてきたわけです。証拠と論理のアメリカ、情と阿吽の呼吸の日本。なるほど、「アメリカの訴訟費用と、日本の接待費用は同じだ」とは数値の確からしさは置いておけば、言い得て妙です。
ちなみに、乾杯というときの杯は、下が尖っているのが普通です。あれは、そもそも地面に置けないようにしたのですね。そうやって、相手と対面しつつ、会話を楽しみ、人間関係を築くまで食事が終わらない。お酌を酌み交わすと関係が深まるのは、古代からでした。だから、その意味でも接待を完全否定はしないほうが良いと私は思うんですけれどね。
先日、料亭に取材にいったのですが、若手社員の「料亭リテラシーが低下している」と嘆いていらっしゃいました。かつては、調達の人間でも、営業の人間でも、偉い人のカバン持ちでやってきていたようです。しかし、昨今は経費削減のせいか、偉い人だけしか来ないケースがあるようです。だから、かつてカバン持ちの社員が自然に覚えた流儀もわからないまま役職者になってしまう……と。私は料亭だけが日本文化だとか、接待が世界に誇るべき日本文化だとかはいいません。