部下を殴らない方法(坂口孝則)
以前、面白い話を聞きました。電車のなかでの話です。幼い子どもが泣き叫んでいた話です。泣いているのを見て、イラっとするか、あるいは寛容なのかは、子育て経験の有無にもかかわるでしょう。とにかく、子どもが泣いていたそうです。横には母親が一人。
すると、一人の男性が、その母子に近づいて「お前ら電車を降りろ」といったそうです。この男性にたいする感想もだいぶ異なるでしょう。その男性は、そのようにいったとはいえ、急に電車の中に居づらくなって、むしろ自分から降りたそうです。
しかし、よく聞いてみると、その母親は子どもをあやしもせずに、ただひたすらスマホを触っていたそうです。おそるべきは、たったこの一つの情報だけで善悪が入れ替わることです。こうなると、母親にたいする感想もだいぶ違ったものになるかもしれません。
さらに、驚くのは次のことです。その母親は、電車の乗客にたいして、こういったようです。「すみません……。実は肉親が急死してしまって、どうしてよいかわからなくて。急ぎ帰宅方法を検索していて……」。ここでも、またしても善悪のあざやかな逆転があります。
私は、たった一つの情報が、善悪を入れ替えてしまうこのエピソードを、ある日、美容師に話しました。すると、美容師は「それならば、最初に怒鳴った男性の事情も考えてあげるべきですね」と。
気づきませんでした。もしかすると、その男性も、やむにやまれぬ事情があったかもしれません。そう考えると、他者を非難する行為は、かなりきわどいものと思い至るでしょう。
私たちは「イラつかせるもの」に囲まれて生活しています。それが弱者であれば、ついカッとなって手を出すケースもありえます。たとえば部下はどうでしょうか。殴らないにせよ、精神的ダメージを与えうる攻撃に手を染めうるかもしれません。
そのときに、理想論ではありますが、他者の事情を勘案してあげること。もしかすると、そのたった数秒の思考が、人間関係を救うのかもしれません。