GASTUNKライブ(2021年10月17日)at TSUTAYA O-EASTについて

奇跡的な音楽とどうやって出会うのだろうか。きっと奇跡的に、だと思う。

2021年10月17日17:30~にTSUTAYA O-EASTで行われたGASTUNKのライブに行ってきた。

緊急事態宣言があけ、予想以上に客が入っていた。人々の意識にも変化があったのだろう。とはいえ、会場ではマスク着用、かつ客間の距離を確保しながらの実施だった。

曲はフルアルバム「VINTAGE SPIRIT, THE FACT」からの選曲で「Black Forest」「Perfect Tomorrow」からはじまり、怒涛の展開だった。前とはまったく同じ状態で歓声はあげられないものの、「Freedom」「D.O.N」ではたしかに会場が一体化した。

そして後半は過去曲で盛り上がった。もちろん「ジェロニモ」も「DEAD SONG」もあり、ペースを落とさないまま最後まで走り続けた。メンバーの方々がどう思っているかはわからないものの、演奏は出来上がっており、なにより楽しそうな様子が印象的だった。

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緊急事態宣言下で昼間からのライブが多々あった。しかし、なぜライブと愛は夜を呼ぶのだろう。愛撫の対象以外を見たくないためだろうか。自分と他者が同じ空間を独占的に共有することによって興奮が増す経験。そこにライブと愛の特殊性があるのかもしれない。

GASTUNKを見ていると、ラウドとメロディ、静と動がけっして対峙するものではなく、時には入れ替わり、溶け合えるのだと、私は知ることになる。

Tatsuさんのギターは無に向かって減衰したと思いきや、次の瞬間は爆音となって舞い戻ってくる。本来の音符の長さよりもはるかに超えて響き、曲と曲があたかも一つの叙事詩のように響く。まるでGASTUNKという音楽の終わりを拒絶するかのような圧倒感に襲われる。

音楽を演奏したり聴いたりするのは、人生が一度きりしかないことへの抗議だ、という言葉があるが、GASTUNKの演奏もたやすく観客を過去や、あったかもしれない現在に連れて行ってくれる。

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GASTUNKの曲のメロディは良さとともに、骨と骨をすりあわせるようなきしみ音も秘めている。歌の旋律も、歌詞の強さも、さまよったあげくに、それでもなお立ち向かおうとする力に支えられているのかもしれない。

GASTUNKの演奏は、ある意味、闘いのように見えた。それは、もちろん敵とではなく、自身との闘いであったはずだが。過去を否定するわけではなく、しかしながら、自らの新たな音楽を作ろうとする闘い。私はステージ上の輝きが、自分の運命を切り開こうとする姿勢から来る輝きであることを知った。

「DEAD SONG」では、「everything has gone away」(すべてが消えて無くなった)と歌詞がある。音楽という荒野の中で、これまでの常識を消しながら、限界まで新たな地平線を抉ろうとする試みは、まさに死(DEAD/DEATH)と肉薄しながら何かを模索する行為だったに違いない。だからこそ「DEAD SONG」は先進性ともに誰もの脳裏にこびりつく。

死を恐れて神の救済を待つのではなく、死にすら至るかもしれない臨界のなかで音を奏でる試み。これはGASTUNK流の宗教革命といっていい。

私はふたたび、救いとしての、GASTUNKの演奏、BAKIさんの歌を聴きに行きたいと願っている。

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