教養が必要な理由
「教養が必要である」この言葉に異を唱えるビジネスパーソンはいないでしょう。しかし「なぜ教養が必要なのか」といった疑問を呈する声があるのも事実です。実際私たちのイベントでも、教養をもつ重要性について話をした後、なぜ必要なのかについて御質問を頂いたこともあります。
他人から「必要だ」と言われ、教養の宝庫といえども古典文学を読むのは難しいですね。重要なのは必要性の前に「興味」とか「知りたい欲求」です。内なる欲求があれば、さまざまなソースから新たな情報に触れたこと自体が面白く、さらなる知りたい欲求も生まれます。教養の必要性を議論する前に、どのように興味をもつかが重要なのです。
たとえば最近大きな話題になり社会現象とすら言われている「鬼滅の刃」。私は友人の勧めもあり漫画も読んでアニメも見て映画も鑑賞しました。たしかにおもしろいストーリーです。でもここまで話題になる理由は見つけられません。漫画やアニメを鑑賞しながらいくつか疑問が出てきました。私が最も興味を持ったのは「鬼」です。
そこで「鬼」に関する文献を何冊か読んでみました。すると私たちの「鬼」のイメージは、江戸時代に確立されたことがわかりました。鎌倉時代に鬼の姿を描いた記録には、赤い顔をして角が二本あり虎の子のフンドシをつけた鬼は登場しません。一見しただけでは鬼と判断できないような「異形」な鬼たちばかりでした。この「異形(いぎょう)」といった言葉の使い方は、マンガやアニメの中でも同じように使用されています。なるほど!作者はしっかり時代考証を行っているとわかりました。
興味をもったテーマ、たとえマンガやアニメであったとしても、その背景を補うような知識が得られたのはうれしい出来事です。そんな経験を求め方は、まずさまざまなきっかけからキーワードを求めます。鬼滅の刃では「鬼」ですね。もう一つ時代設定の「大正」も気になるキーワードです。キーワードが得られたら、あとはAmazonでキーワードに関連する文献を買い求めます。1つのテーマで何十冊もの文献に出会うことがあります。何十冊もの中から「おもしろい!」と呼べる本に出会えたら、何者にも代えがたい喜びです。
私にとって教養とは強いて言えば読書です。他人から勧められた本は必ず買いますし、自分でもおもしろい本はないかといつも探しています。でも教養を身につけようとは思っていません。教養=読書であれば、行う理由はおもしろいから。おもしろい真実やストーリーに出会いたいと思っているだけなのです。