コーヒーメーカーとバイヤーと
もう十数年使用していたコーヒーメーカーが壊れた。えぇっと、この表現は正しくないな。淹れたコーヒーを入れておくガラスの容器が割れたのである。元々私の実家で数年使用せずにいたもので、その後私が使用して20年近く経過している。古くなった~と言っても、珍しくちゃんとメンテナンスをしていたら、機能にはまったく問題がない。当初は、ガラスの容器だけを購入しようと思ったが、メーカーのサイトでは型番でも検索不能になっている。部品の在庫保証期限も切れているしな・・・・・・
なので、もったいないと思いつつ新しいコーヒーメーカーを買うことにした。そしてバイヤーでもあるので、品質の良い製品を一円でも安く買ってみよう・・・・・・と、いろいろ調べ始めた。
前のコーヒーメーカーはほとんど不満を感じていなかったが、「こうだったら良いな」と思うところはあった。そんなことを考えながら近くの量販店を歩く。歩きながら、ネットの価格情報サイトで価格をチェックする。でも、今コーヒーメーカーって本当に安い。一番安い製品は、二千円でお釣りが来る。どんなメーカーが良いのかな~と思いつつ、これまでの製品の強いて挙げた不満点を拭い去る製品を見つけた。感覚的には値段も手頃だ。これにしようかな~なんて思って、念のため価格をネットでチェックすると、なんと店頭での価格は通信販売での最安値より10%以上高いことが判明した。
といっても千円弱である。どうしようか・・・・・・と迷った挙げ句に、とある友人から
「あそこの商品管理と価格調査はスゴイよ」
と、聞かされていた店を思い出した。せっかくだから行ってみようか?と行ってみたのである。
そのお店は全国的な展開はしていない。地域のターミナル駅前に店舗を構えている量販店だ。大きな店舗なので、品ぞろえも豊富。へぇ~コーヒーメーカーもこんなに種類があるんだね~なんて感心しながら、お目当ての製品を探す。最近ではコーヒーメーカーに6万も7万も払う人がいるんだ!?なんて思いながら、お目当ての製品へ到着。微妙にネットの価格を下回っている。そしてポイントも付いてくる。即買いしたのは言うまでもない。
私の友人は、商品管理と価格調査と、もう一つ教えてくれていた。それは、とっても儲けているんだということ。安く売って、小売店も儲かって、これ以上いい話はないじゃないか!と思う。一体どんなからくりがあるのか?にとっても興味がある。でも、そんな興味の前に、今日飲んだコーヒーは、殊の外おいしかった!
バイヤーが追い求めるものはQCDのバランス・・・・・・なんていいつつ、結局は「安さ」なのではないか?と思う。魅力的だけでも、納期を確保するだけでもダメ。魅力的で、納期も確保しつつ、それでいて「安い」製品を買ってくるのがバイヤーの役目だと思っている。
でも「安さ」とは何だろう?と考える。
例えばコーヒーメーカーを買ったこと。冷静に買うまでを振り返れば、最後に買った量販店は、私の自宅から十数キロ離れている。車で行ったので、ガソリン代モロモロも購入に伴って発生した費用も含めて評価すべきだ、といわれると、どうなのか?いろいろ探して、ちょっと一服と立ち寄ったスタバのカフェラテだって、家からネットを使った通信販売を利用すれば、自分でそれこそコーヒーを淹れたろう。
そういうことを考えると「最終的に安かったの?」と思わなくも無い。
しかし私は、そう思わない。これは、バイヤーが行う業務上の「買う」と、個人で行う「買う」の相いれない部分だからだ。
再びコーヒーメーカー。私は今回の買い物で得た製品で「満足」を手に入れている。おいしいコーヒーが飲めた♪というものだ。今までのコーヒーメーカーでは、保温とは名ばかりで、30分もすると煮立った「元コーヒー」となってしまっていたものが、新しいものでは魔法瓶で保温される。30分程度であれば淹れたてに近い鮮度が保たれる。これは今までになかった価値となるのだ。
業務上での「買う」場合、買ったものから直接「満足」を得ることってあるだろうか?まぁ自分で使用しないので、満足を得ることもできないのである。しかし、実際にモノづくりを行う人や、最終的に使用するユーザーに思いをはせ、製造過程や、仕様段階での「満足」を得ることは、当然意識しなければならないと思っている。
では、他人の得る「満足」に、バイヤーはどう貢献すべきなのか?
これが今の時代のニーズでは「安さ」なのかな?とも思う。ただ見積書や請求書の書類上での数値の低さでなく、付随して発生する費用、トータルコストなんていうが、そういうことも考えながら「安さ」そのものを追求することに、バイヤーがバイヤーたる価値があるのではないか?と思っている。そして私はそんなバイヤー業務の中に、モノを買うことで得られる「喜び」を得たいと思っている。こう書いてみると、これって相当難しいかも~と思うが、でも難しいから挑戦することに価値があるし、価値を得るために達成したいとも思うのだ。