流通ジャーナリスト・金子哲雄さんのこと
今日、Facebookで、故・金子哲雄さんの写真が出てきました。10月2日はご本人の命日です。
ところで、2012年10月2日、私は記録を遡るとハワイにいて(現地10月3日)その訃報を聞いたようです。当時、私はある媒体に以下の投稿をしていました。
あらためて金子哲雄さんについて考えています。
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流通ジャーナリスト・金子哲雄さんのこと。海外で訃報を聞きました。
金子さんとはじめて会ったのは成城学園前の坂道。桜が咲いていました。挨拶をした私に、ゆっくり桜を見ながら歩きましょうと、言ってくださり、とりとめもない話をしながらテレビスタジオに向かいました。
それ以降、金子さんと番組でご一緒することが多く、いつも明るく話してくれました。
過剰なサービス精神、そしてどんなに多忙でも変わらぬ優しさ。これらはみんなも金子さんについて語るでしょう。
そして、ぼくが印象に残っているのは、弱者への優しい眼差しです。たとえば評論家の方が何かを語る。すると金子さんはぼくの耳元で「頭のいいひとが正しいこといっても、強者の味方にしかならない。つまらない」と「だからぼくは笑われても、弱者と庶民の味方になりたい」とささやきました。正確に覚えてはいないものの、そんなことを脳裏から離れません。
ぼくは、あの世も冥土も冥福も、宗教的な意味で信じていません。ただ、できることは金子さんの意思と気持ちを受け継ぐことだろうと思います。
ある日、ぼくは麹町のスタジオで金子さんと会いました。ある著名人が亡くなった翌日で金子さんは「残された側は寂しいですね」とおっしゃいました。
ぼくはいま、金子さんからその立場にさせられました。
金子さん、寂しいです。