バイヤーの常識への挑戦
常識への挑戦と書けば、なにやら勇ましいと思うかもしれないが、私が考えている内容はもっと地道で泥臭いもの。あたり前と思っている内容に、いろいろな改善や新たな創造のヒントが隠されているので、声に出さなくともいろいろなものを疑ってみるのがその趣旨になる。
泥臭くて地道だから簡単か?と言えば、これが結構難しい。だって私は一方で「セオリーとは偉大なる常識」なんて言葉にも感銘を持っており、そのバランスがなんとも難しいのだ。
そして今年、今まで書いた内容とかなり相反するが、周囲から「なんで?」と言われるような、端から見れば常識外の行動に出てみた。確かにセオリーには反するかもしれない。でも自分にとっては「運命」であり、今更「たら・れば」は考えられない。それくらいに確信を持って行動したのである。
そして常識への挑戦とは、一年間の短い時間では日の目を見ない内容かもしれない。今年一番の「常識への挑戦」は、為替レートが円安にも関わらず、あの手この手を使って関係を続けた海外サプライヤーとのビジネスが、円高により一気に好転するきっかけを得た。これは今年の前半まで、周囲の「なんで今頃?」と言われながらも、身近に協力者を得ながら少しずつ進めてきたものだ。数年単位での積み重ねが花開きそうな勢いである。これは圧倒的に不利な為替レートにも関わらず、「海外調達とは、為替レートに踊らされられるべきものではない」の言葉に表す信念による行動の結果である。
今回は信念に基づく行動が、たまたま経済環境の変化に良い影響を表したまで。信念=常識となったときなど、疑いすらなくなってしまうのか?私にはそれが一番怖いかもしれない。気がつかないのが恐ろしい。信じるのも重要、セオリーや常識も大事、でもうのみだけはしないようにしたい。この気持ちは、何をした、成果を出したよりも、こうやって思い継続が重要だと思う。