(相談があります)調達担当者の奴隷化について

突然ですが、奴隷について話します。私は、深い人間の特性が、たった数千年では変化しないと考えています。一般的には奴隷は、たいへん虐げられていたと思われています。しかし、私が疑問だったのは、なぜかつての奴隷は、そんなに働いていたのだろう、という点です。ムチで叩かれた、あるいは恫喝された、罰があった……、もちろん、それらは正解でしょう。でも、いま給料をもらっても働かないひとがいるのに、ムチだけでひとを働かせることができたでしょうか。

逆に考えてみても、使用人側だとして、ムチで叩くだけで無数の奴隷を働かせることが可能でしょうか。私はそんなに単純じゃないと思います。私は、こういった疑問から書籍を読みます。すると、やはり、歴史の実証研究が進むと、単純ではなかったとわかります。たとえば、ピラミッド建設では、中食を食べさせることで奴隷を集めるのですが、なかなか奴隷が集まらなかったり、逃げたり休んだりと、かなり大変だったようです。

また、面白いのはローマの奴隷制度です。これは意外に知られていないのですが、奴隷には、実は奴隷を辞める権利を与えられていました。多数のひとは奴隷のままだったのですが、やる気にさえなれば、奴隷から脱出できたのです。どうすればいいかというと、奴隷として働いて預金して一定金額を払えば良かったのです。その後、奴隷税として5%を徴税されたようです。しかし、頑張れば、自らの力で脱出はできます。そこで、奴隷の労働にも希望が生じ、そして、脱出するための基準が設けられていました。

それにたいし、旧ソ連はシベリアでは、捕虜が強制労働に駆り出されました。もちろん、解放されることもありましたが、それは金銭ではなく、政治状況によるものでした。もっといえば、気まぐれに捕虜は解放されたのです。捕虜は明確な基準がないままに働かされました。そこで、体制側は、監視制度と密告制度を高度に発達させていきました。

さて、ローマの奴隷制度は、大きな示唆を私たちに与えてくれます。奴隷であっても、その現状がすべてではありません。将来に希望がある、という一点において、現在の意味を書き換えうるのです。そして、奴隷には金銭という脱出のための評価軸も与えられていました。とくに、「未来がある」という事実こそが、現在の存在意義を規定しうるという点はたいへんに興味深いものです。

そこで問います。あなたは調達担当者かもしれません。あるいは管理職かもしれません。担当者のひとたちは、現在の仕事の不満を抱きがちです。しかし、実際の問題は奴隷化ではなく「将来に希望をもちうるか」という点です。身近にロールモデルとなる先輩がいないか探せなければ、社外にどんどん出ていって探しましょう。もちろん私も一つの姿を提示しているつもりです。そして、あなたが管理職であれば、部下に、将来の希望を感じさせているでしょうか。そして、そこにいたる方法論や評価軸を提示しているでしょうか。

ローマには奴隷制のなかにも、「将来への希望」と「評価軸」が存在しました。旧ソ連には、両方ともありませんでした。さて、御社には、両方ともあるでしょうか。それとも片方はあるでしょうか。それとも、両方ともない、旧ソ連のような状況でしょうか。

(今回の文章は坂口孝則が担当しました)

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