連載「2019年から2038年まで何が起きるか」(坂口孝則)

*2019年から2038年まで日本で起きることを予想し、みなさまのビジネスに応用いただく連載です。これまでずっと書いてきた連載ですが、最終回をむかえました。これまで20年分をお読みいただき、ありがとうございました。

<最終回>

2019年から2038年までの20年分をお読みいただいた。読者は何歳だろうか。20年後の自分と重ねると面白いかもしれない。

ところで、この連載を書くきっかけになった私的な話を書いておきたい。私は日本テレビの情報番組「スッキリ!!」で評論家の宇野常寛さんと共演した。それは2年半にわたった。同い年だったため、さまざまな話をした。そして、二人とも30代の終わりに近づいていた。一つの区切りを迎えるにあたって、限られた時間のなか、どのような仕事に力を注ぐべきか。できれば、記念碑的な仕事をしたい。重ねた会話のなかから、その意識が高まってきた。

私は日ごろ、さまざまな業界のデータを見て分析したり、資料を作成したり、話したりする。そこで、自らの今後20年後を考えるにあたって、膨大なデータと格闘し未来予想としてまとめることができないか。その発想が連載の起点となった。

2019年から2038年までを節とし、さまざまな業界の予想を語った。しかし、その業界が、かならずしもその年に書かれる絶対性も必然性も、じつはありはしない。さらに、20の業界を選ぶ行為そのものが、私の判断によるもので、客観性を欠いている。いわば、本書は壮大な自分語りといっていい。いや、けっきょくのところ、すべての出版物は自分語りではないだろうか。その意味で、私は自分のために連載を書いた。

巷間には、未来予想に関わる書籍があふれている。その多くが、かなり飛躍した、突飛な未来を語るものだ。当連載を書くにあたり、10年、20年前に書かれた未来予想の書籍群を読んでみた。そのほとんどが当たっていない。現実は予想をまったく裏切るように進んでいく。だから、未来予想はむなしい。当連載も同じ道を歩むだろう。ただ、当連載は、意図的に地味な内容であるよう努めた。多くが未来すぎる未来を語るのにたいし、当連載では統計を基本とし、当たるのであれ外れるのであれ、読者が私に賛同的であれ批判的であれ、あとで検証可能なように、できるだけデータソースを記載しておいた。

◆ ◆ ◆

トラブルを伝えるメール、立て続けの電話、同僚からの愚痴、終わりのない資料作成、アシスタントからの暗い相談、関係者が突然に訪問してきて浪費される時間、誰かの責任を回避するために回ってくる役目、範囲を超えて振られる仕事、そして、上司からの怒号――。私は10年前、こんな職場にいた。

そして、同時に、かけがえのない経験をした。

青森の工場で、深夜にやっと生産をつないだこと。香港での葛藤、米国での苦悩。毎日のように工場を巡って現場で対話を重ね、考え続けたこと。無数の経営者たちと対話したこと。深夜まで残っていた職場で将来の夢を語り合ったこと。居酒屋で「お前、なんで会社を辞めるんだよ」と泣かれたこと。

親子ほど年の離れた男性から、「いままでありがとうな」と固い握手のあと抱きつかれたこと――。

仕事の内容を文章にまとめ、それを書籍『牛丼一杯の儲けは9円』(幻冬舎新書)にしたのがそのころだった。もともと私は企業の資材係からキャリアをスタートさせた。資材係とは、企業の生産に必要な部材や材料を買い集めて、工場に納品する仕事だ。社内でもっとも地味な仕事だった。しかし、その仕事を通じて製品知識を習得し、取引先分析手法を覚え、原価や会計、業界に統計とさまざまなことを学んでいた。

そのあとにテレビに出るようになって、会社をつくって、結婚して子どもができて、といううちに10年が過ぎていた。10年前は、自分が未来予想の書籍を上梓するとは想像もつかなかった。よく、10年一昔、というけれど、ちょっと私にとっては感慨深い。

会社の隅で闘っていた私が――それは敵との闘いというより、自らの可能性を模索する闘いであったが――今回、読者の日常を少しでも止め、今後を思考するきっかけを提供できれば幸いだ。

◆ ◆ ◆

現代のビジネスパーソンの難しさは、利益と効率を求めて流れを止めない日常業務のなかで、さらに将来にたいする思考と戦略を求められる点にある、と私は思う。同僚も上司も、多忙な日常に生きている。かつて、大企業であれば、新規事業開発の部門があり、そこが考えればよかったかもしれない。しかし、現在では一人ひとりが部門に関わりなく、仮説をもって未来と対峙し、そしてキャリアを考え、事業を創出していかねばならない。

当連載では、日本の視点から描いている。現在の日本は、かつて製造業を中心として世界を制覇した栄華の記憶と、米中に後塵を拝するようになった悲しみとが、鋭い明暗の対立となってそそり立っているように感じられる。当連載は私なりの、日本復活戦略のつもりではある。ただ、日本を中心として考える必要は、もちろん、ない。むしろ日本という桎梏にとらわれないビジネスが重要だろう。日本を中心に書いたのは、あくまで私の自分語りゆえだ。

データを中心として論をまとめた、といった。ただ、どのデータが私にとって重要と感じたか、感じてしまったかは、ある種の奇跡による。同じ文章を読んでも、読者がどこに面白さを感じるかは、状況と偶然によるだろう。私の文章をきっかけに、読者の問題意識と重なり、私がまったく想像できない発想が可能かもしれない。

さまざまな発想を刺激するため、できるだけ意外な固有名詞をつなげて書いておいた。それがひとによっては冗長と感じただろうし、ひとによっては面白いと感じてくれるだろう。すべての出版物は自分語りであるだけではなく、すべての仕事は自分語りなのかもしれない。

当連載はデータを愛撫しながら、奔流して過ぎ去っていく時間になんとか抗おうとした試みだった。10年前は、このような仕事をすると予想もしなかったと述べた。当連載をきっかけに、おなじく予想もしなかった仕事があるかもしれない。なるほど、自分自身の未来予想ていどでも困難なものらしい。

私は幸運なことに、さまざまな世界の有名人と出会うことが多い。彼らは、将来にたいして「こういう世界がやってくるはずだ」と仮説をもち、進む方向性を決める。ほんとうに上手くいくかはわからない。もちろん、失敗する可能性もある。ただ、将来を予想しようとする意思こそが生きる力になり、世界と対峙する勇気になり、さらに創意工夫の愉悦をもたらす可能性が考えられるだろう。当連載は、まだ見ぬ将来の自分にも捧げている。

最後に。

壮大な自分語りに伴走いただいた、すべての読者にお礼を申し上げたい。

<了>

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