グローバルな浪花節的思考(牧野直哉)
3週間の出張を終え日本に帰ってきました。出発した頃は残暑厳しく、持参したシャツはすべて半袖でした。帰ってきてみるとすっかり秋めいており、久々に長い出張だったことを実感しています。
今回の出張は、とあるサプライヤーに起因する不具合への対応でした。不具合を解消しつつ、現在進行形で進む仕事もこなさなければならない。そんな中で、出張の後半にこんな出来事がありました。
様々な改善活動をおこないつつ、日々の仕事をこなしています。当然、普段よりも仕事の総量は多くなりますね。そんな中で、私の勤務先から発注した製品の納期を繰り上げてほしいとの連絡がありました。ルーティンで訪問先の担当者に納期繰り上げの要請がはいりました。同時に、私にも直接調整をおこなってほしいとのメールが送られてきました。私の勤務先は9月末が本決算です。担当営業からも、なんとかしてほしいと懇願のメールが入っていました。
そんなメールを受信する頃、私は訪問先のメンバーほぼ全員の名前を覚える位になっていました。英語を勉強している現場のオペレーターとも、カタコトですが話をするようになっていました。そんな中で納期短縮要請です。そのときの稼働状況から判断して、今やっている仕事の中に押し込める状態に無いことはすぐに判断がつきました。あとは材料……材料も入手できていました。あとは、生産の組み替えによる優先順位の繰り上げしか手段はありません。
出張中、私は毎日10時と16時に訪問先の社長とミーティングをおこなっていました。進捗の確認と、問題への対処を話し合うためです。納期短縮要請が舞い込んだ日の10時のミーティング。内容は、改善活動の話もそこそこに、納期短縮への対応策検討がメインでした。
私は、納期短縮することで得られるサプライヤー側のメリットを探していました。幸いにして、納入する予定のお客様や市場に関する知識は持っていました。かつて、日本から同じようなお願いをおこなったときは、あまりよい結果を得られていません。せっかく今回はタイミング良く(悪くともいいます)現地に滞在しているので、最悪調整ができなくとも、どんなプロセスで「できない」との判断が下されるのかを見てやろうと考えていました。
納期繰り上げ要請に関する、お客さまとのやりとりの経緯や背景の情報を集めつつ、訪問先の社長と生産管理のマネージャーにお願いをしました。なんとか頼む、と。そして途中経過を16時のミーティングで教えてほしいとも依頼しました。一筋縄ではいかないだろうな、と思いつつも検討することは了承をしてもらいました。
その日の仕事を進めていると、あっという間に16時です。私は慌てて現場から会議室へと戻ります。私の本分は、あくまでも不具合を解消する改善活動です。その日の活動の進捗と、あらたな問題点について話し合った後、納期繰り上げ問題の話になりました。すると、難しいとの見通していたにも関わらず、繰り上げ依頼通りの納期で出荷するとの回答がありました。正直、拍子抜けするほどにあっさりと回答を得ることができました。日本にもっと説得材料のネタをくれ!とメールしていたにもかかわらず、すんなりと解決してしまったのです。
海外と日本のサプライヤーを比較するとき、日本のサプライヤーの優位性に、時に「浪花節が効く」なんてことがいわれます。浪花節とは、義理人情に訴え、それが実質的な効果を生む、ということです。確かに義理人情とともに無理を通せば道理が引っ込む経験をしたことは何度もあります。しかし、こういった話は「日本的な商慣習」として、あくまでも日本だけで通用する話として捉えられていました。
先ほどの納期繰り上げの話。以前の経験では、納期繰り上げは至難の業でした。依頼通りに納期が繰り上がったことなど無かったのです。ただし、以前のケースでは、日本からメールでそして電話による依頼でした。以前と今回でどこが違うのか。現地に三週間も滞在して、同じランチを食べ、ファーストネームで名前を呼び合い挨拶をしたくらいです。同じ時間を過ごすことで生まれた親近感が納期を繰り上げさせたのでしょうか。であれば、これはいわゆる浪花節とはいえないだろうか、と考えたわけです。
そして、過去の海外サプライヤーとの出来事を思い出してみました。関係の深い国内サプライヤーとの比較では、依頼事項への回答に物足りない結果が多いのは事実です。しかしそんな海外メーカーの回答でさえも、当初に比べ、大きな譲歩をサプライヤー側に強いているケースはいくつもありました。その結果を、バイヤー・サプライヤー相互の訪問の有無で見てみます。すると、私の経験においては、双方の訪問を実現しているサプライヤーほど、譲歩を引き出しやすい、無理を聞き入れてもらいやすい傾向は明らかでした。そして疑問が残ります。これは、義理・人情による浪花節とどう違うのだろうか、と。
私の結論では同じです。結論としては、浪花節な対応は日本だけのものではありません。日本のサプライヤーに浪花節=義理・人情をベースにした対応を強く感じるとすれば、それは同じ国民であること、地理的に近いという条件によるものです。浪花節は日本国内のみに通用するローカルスタンダードでなく、グローバルスタンダードということです。
同じ国民であるとの共通点による親近感は特別なものです。簡単に得られるものではありませんね。しかし、地理的な近さについては、近年どんどんその距離感を感じることが少なくなっています。インターネットを活用すれば、海外ともコストレスで話をすることができます。メールでは仕事に必要なデータのほとんどを瞬時に相手に送付して共有することが可能です。物理的な距離感はどうしようもありません。しかし、それ以外の距離感はずいぶんと近くなっている。ということは、同じ日本にいることで生まれる優位性が薄れているといえるわけです。
これを現在採用しているサプライヤーを念頭に考えてみます。浪花節的な関係は、グローバルでも通用する普遍的とします。ゆえに、海外サプライヤーとも構築できる関係といえます。日本のサプライヤーについては、浪花節的な関係を除いて考えたとき、果たしてこれからも関係を継続する価値があるサプライヤーかどうか。そして、地理的なハンデを持つ海外サプライヤーと、どのように浪花節的関係を築くのか。両方を同時並行的に進められるバイヤーが、これから生き残れるバイヤーの一つの形なのです。