反改革の自己改革へ
・絶望からはじめよう
先日、飛行機を乗り継いでいった某所での講演。「さあ、今日もがんばろう」と起きた朝に、ふと目に飛び込んできたニュース。「沢尻エリカ、2010年は7日しか働かずにギャラ5000万円」。ああ、と私はため息をついた。
日々、目の前の業務に追われ、それでいて自らの手には残滓として、ほんのちょっとのお金しか残らない私たちがいる。その一方で、わずか数日で莫大なお金を稼ぐ人がいる。私はここで格差社会を嘆いてみたいわけではない。
ただ、一つ指摘しておきたい。かつて<世の中には「金持ち」と「ビンボー人」がいる>という構図をギャグ混じりに提示した「金魂巻」がお笑いとして成立したのは、その構図がまだ表面化していなかったからだ。金持ち奥さんと、ビンボー奥さん、そのような対比は、社会的に表面化していない80年代だからこそ、ギャグになりえた。しかし、いまではそのような「上流」「下流」がはっきりと社会問題化してきている(例えばジニ係数を見よ)。いまでは、<世の中には「上流」と「下流」がいる>といったところで、読者の絶望感を増長することにしかならないだろう。
私の講演がはじまった。休み時間、ありがたいことに、多くの若き聞き手たちが話しかけてくれる。「大変面白いです。ただ……」。ここで、私は「やっぱり『ただ』がつくか」と心の中でつぶやく。「そもそも自分が買っているものが何なのかわかっていないんです。技術的に、文系出身者が理解できるものではありません」。なるほど。「だから、なかなか仕事にモチベーションを維持することが難しいのです」。
では、なぜ会社を辞めない? 必死にやっても、まったく改善できないのであれば、人生を変えるために転職を考えたことはないのだろうか? 「残念ながら、転職できる先がありません。いまのところは、薄給でも、ここに留まるしかないんです」。ささやくような声で、そんなことを教えてくれた。
将来に対する不安。しかし、変えることのできない現状。何をしてよいかわからず、「なんとなく」漠然とした恐怖と闘う毎日。そういえば、前の職場の人が「また自殺者が出たんだって」と教えてくれたのは、先週のことだっけ?
私たちは漂流者である。この数年間、絶えることなく漠然とした将来の不安と対峙している。そのあいだ、「ポジティブシンキング」や「上を向いて歩こう」というアッパー系のカンフル剤を飲んでも(要するに、「努力が実る」ということを謳うビジネス書のことだ)、すべて徒労であった。たった数年前には、その不安は恐怖や予感にすぎず、テレビや雑誌でしか感じられなかった。しかし、いまではそれを自分の内臓のように感じている。私たちが将来について語る言葉は病んでいて、そして弱い。
・飯田泰之先生との対話
先日、経済学者の飯田泰之先生との対話があった。運良く、この対話は本になる。そのとき話したのも、「アッパー系のカンフル剤を飲」むことに対するあぶなさだった。数年前に、ビジネス書の著者たちは「人間、やればできる」と言っていた。でも、その通りにやってみたけれど、多くの人たちは「やってもできなかった」。「努力だけでは幸せになれない」ことが徐々にわかってきた。それに人間には明確な能力格差がある。
ビジネス書のトレンドを振り返ってみると
・2008年「効率化すればすべてが上手くいく」と述べる本が売れた
・2009年「やればできる」と鼓舞するものが売れた
・2010年「やってもできない」ことを読者が気づき、「努力では幸せになれない」ことを前提とした本が売れた
それならば、いま私たちがもっとも必要なのは「できないなりに幸せになる技術」ではないか。トップクラスを目指さなくても良い。今のままでも良い。幸福度なんて大金持ちになっても、ほとんど変わらない(これは幸福度調査から明らかにされている)。それならば、気楽に、軽やかに生きていく技術があればいい。
かつてスペインでは、失業率が20%をこえていたのに、広場で酒を飲んで笑って騒ぐ光景があった。いまの日本で、失業率20%で愉しく騒ぐことはできるだろうか。そのような余裕はあるだろうか。「ま、なんとかなるよ」という楽観に基づいた行動ができるだろうか。私は、日本人が海外旅行に行きたがるのは、海外特有のある種の「気楽さ」を感じたいためではないかと考えている。所得の低さに関係なく、明るく愉しく過ごしている現状。そこで自分をリセットしたいのだ、と思う。
若い人で「自分探し」という名目で海外に行く人が多かった。あれはおかしい。ほんとうに「自分探し」をしたいのであれば、親しい周りの人に訊いてみればいい。むしろ、海外に行くことで、「自分なくし」をしたかったのだ。「ほんとうの自分」なんて、海外に行って見つかるはずはない。誰も自分のことを知らない状況に行って、自分をリセットしたかったのだ(たぶん)。
その証拠に、旅の達人は「感動した海外名所があったら、二回目は行くな」と言うことがある。二回いくと、ほとんどは面白くない、あるいは感動が薄れてしまう。その場所が自分にとって「まったく知らない場所」であるという状況でなければ、自分なくしはできない。
しかし、ずっとずっと未知の場所に足を踏み入れることはできるだろうか。もちろん、できるだろう。お金があれば、つねに海外を飛び回ることもできる。ただ、私たちのほとんどはお金の制約のなか生きている。これを仕事にたとえるのは不遜だろうか。次々に仕事を変わったり、新たな仕事にチャレンジすることも不可能ではない(能力と気力があれば)。しかし、どれだけ変わったとしても、カンフル剤はいつか切れる。とするならば、必然的に、「状況が変わらずとも、そこそこ満足できる状況」を自ら創りだすしかないという結論に到着する。
そう、私たちは、周囲を変えるんじゃなく、結局は自分を変えるしかないんだ。かつて60年代の学生たちが社会を変えようと試みた。しかし、安保闘争は失敗に終わった。反権力だったはずの赤き闘士も、いまでは権力の座についたあとは、官房長官から代表代理に居続けている。その下の世代が、「社会を変えるなんてできっこない」と思ったのも無理はない。よく若手に「デモでもやって、社会を変えてみろ」と説教する年長者がいるけれど、そんなことしたって意味がないということを若手は一番わかっていた。
じゃあ、会社はどうだろうか。これも同じく、意味がないことを若手は気づいている。労働組合? いまの労働組合のほとんどはエリートコースに組み込まれている。労働組合で専従することが、出世コースだ。そうだとすると、労働組合の役割は、タテマエだけの給料アップ交渉しか残されていない。給料交渉だけで会社は変わるのか。そもそも、労働組合の活動自体が、若手に負荷をかける「労働」となっているのではないか。労働組合で会社は変わらない。そんなことは、いまどきの若手社員だったら、誰もがもっている共通認識だろう。
社会を変えるわけではない。会社を変えるわけでもない。だから、それは反改革だ。しかし、その代わりに自分を変えなければいけない。自己改革は、反改革なのだ。
反改革としての自己改革では、自分の内面を見つめることからしか始まらないだろう。いまさらながら「自分は何によって満足するのか」「社会や会社が変わらない前提で、自分に何ができるのか」を自問し続けることだ。海外旅行に行っても、酒を呑んでも、それは一瞬の愉悦を演出してくれるかもしれないが、本質ではない。つらいときに馬鹿騒ぎしても、その後の静寂が、自分をむなしくさせるだけだろう。
・・・
年末に香港に行ってきた。数日間の愉しさのなか、しかし、私はその愉しさが期間限定であることを知っていた。ほんとうの喜びは、日常を変えることだ。ただ、ほとんどの人は日常を変えることができないから、せめて非日常での愉悦を求める。
それでいいのだろうかーー。毎日を、そして日常を愉しまなければいけない。年末にそう決意した。
香港での、ある正午。カオルーンから見える川のほとりで席にすわって、ビールを飲みながら、私は眺めるあてもない河の流れを見ていた。四川料理なのか北京料理なのかわからない脂ぎったトリの炒め物を食べたとき、体内の水分がいつの間にかビールに移り変わっていた。12月の末とは思えないくらいやわらかな日差しで、生きているのが嬉しくてたまらないかのような笑い声を交わすカップルが通り過ぎた。もう目を開けていられないくらい、そこには幸せが充満していた。その状況と、帰国した私を待ち構えている状況との差異に、くらくらと目眩がしてきた。しかし、それが何であるのか、わからないでいた。ただ、日常から脱却するために非日常へと旅することは、もう止めようと、ひたすら思いつめていた。
淋しかった。