iPadのほんとうの衝撃(坂口孝則)
・iPad異論
今回は、増刊号なのでやや異なった視点から調達・購買を論じてみます。
iPadの原価率予想が発表されました。いろいろなページで見ることができますが、たとえばこれです。
製造原価は260ドルほどということでした。売価と比べると、50%以上です。ただ、記事を読む限り、部品コストがほとんどですから、これはほんらいの意味での「原価」ではありません。また、販売費及び一般管理費が加算されていないのですから、これは製品の原価計算としては成立していません。
それに、この50%が高いのかどうかについては、ほとんど何のコメントもなされていないのですよ。日本語のサイトであっても同様です。
さて、ここでいくつかの考察を加えてみましょう。
-
iPadの原価率よりも、日本メーカーの部品が採用されていないことにより注目すべきだ
-
原価率でしか評価できないところに悲劇がある
-
電子出版の衝撃はウソである
それぞれ見ていきます。
・人はなぜ商品を買うか
まず、いきなり根源的な話をしますが、人はなぜ「商品」なるものを買うのでしょうか。問いを変えるのであれば、人はなぜ「買い物」をするのでしょうか。この疑問を考えてみたいのです。
上の世代の人であればご存知でしょうけれど、「いつかはクラウン」という言葉がありました。「クラウン」とは、トヨタの高級車のあれです。「いつかは」とは「いまはカローラだけど、豊かになったら高級車に乗りたい」という願望を示したものでした。高度成長期に暮らした人たちの希望がこのフレーズには投射されています。
しかし、今であればこのフレーズは意味をなしていません。そもそもクルマがほしい、という気持ち自体がなくなってしまったからです。「いつかはiPad」ならばわかります。でも、クルマはほしい対象ではない。そこに何らかの夢を見ることができないからです。
さきほど私は「人はなぜ『買い物』をするのでしょうか」という問いを立てました。答えを言ってしまいます。それは、「他人とつながるため」です。なぜ、人々はクラウンをほしかったのか。それは、クラウンというクルマ自体ではなく、それを買って家族を乗せてどこかに出かけていく自分の姿を想像したからです。商品ではありません。それを使うことによって家族とつながることを期待したのです。
拡大して考えましょう。なぜ、かつては「国民的ヒット曲」というものが存在したのでしょうか。なぜ日曜日の夜に歌番組を見て歌手や曲を覚えたのでしょうか。それは、翌日の学校で友達と話すためです。その曲と歌手の話題によって、友達とつながることを期待したためです。それはいかなる商品であっても同じです。ファッションなどは、自己満足のため、という理由ももちろんあります。しかし、服装は、それを着ている自分を見てくれる他者という存在なしにはありえません。モード学が、「他者からの視線」というものから脱却できないのは、そもそもファッションが「他人とつながること」を根底に置いているからです。
かつて、「女子高生はケータイ代にはお金を使うけれど、音楽には使わなくなった」と言われました。こう考えると当たり前ですよね。だって、音楽やその他の商品を買わずとも、ケータイさえあれば「他人とつながる」ことができるのです。それならば、ほかの商品なんていらないでしょう。
最近、ケータイやiPhoneはケシカランとか、ケータイばかりいじっていて若者は気持ち悪いとか、そんな議論を聞くと、この観点がすっぽりと抜け落ちていることに気づきます。違うんですよ。若者はケータイに夢中ではないのです。「他人(友達)とつながること」に夢中なのですよ。この「他人とつながる」という観点から、すべての商品は眺められるべきです。それは、読者のみなさまが勤めている会社が販売している商品であっても同様ですから、ぜひその観点で見てみましょう。
さて、この「他人とつながる」という点から商品を開発してきたのがアップルでした。iPodもiPhoneもiPadも、この点を抜きには語れません。アップルが提供しているのはハードではないのです。他者とつながる機会を提供していると考えるべきでしょう。それはハードではなく、むしろソフトです。
それに対して、日本はハード(ものづくり)から脱却できませんでした。製造業が作り出す「ハードの優秀さ」を売りにしていたのです。だから、「モノづくりは日本」で、「ソフトや仕組みづくり」は海外勢(特にアメリカ)という不幸な構図から抜け出すことはできませんでした。これを私は何度も論じてきたのです。
しかし、今回のiPadでは、もはや日本のハードすらもほとんど使われていない状況。これは別のフェーズに入ったと考えるべきでしょう。すなわち、これまでは儲からないハードを担当させられてきたが、これからはもはやハードすらも担当させてもらえないのだ、と。その意味では、悪い状況が、最悪な状況になってしまったのだ、と認識すべきです。
・原価率なんて関係あるのか
もう、iPadのような商品はハードの原価率をニュースにするものではありません。これまでの議論からいえば、iPadは「他人とつながるための商品」でした。iPadを持っているライフスタイルはかっこいい、というイメージを前面に出しているのはそのような理由です。
iPadがあれば、世界中の情報にアクセスできる。しかも、持ち運びが容易で、どこでも誰とでもコミュニケーションが可能。しかも、知的な匂いすらある。たとえハードが赤字であったとしても、「利用者がどこかで誰かとつながる機会」に応じて課金できるとすれば、ハードの原価率など気にならないでしょう。
原価率をさまざまなメディアで論じている私がいうのもなんですけれど、原価率だけで商品を見るというのは、ある種倒錯した思想です。たとえ単品が赤字であっても、その他の機会を利用して課金することはできます。
iPadによって、利用者が他者とつながる機会を提供できれば、さまざまな利用情報も集まるでしょうね。それによってアップルが「商売」をする機会も増えていくというわけです。
もちろん、原価率を調査してみる、ということも重要かもしれません。でも、ほとんどの人は気づいているのではないですか。「iPadの原価率が高かろうが、低かろうが、そんなことビジネスモデルには無関係だろう」と。おそらく、多くの人がアップルが販売しているのはハードではないと思っているはずです。
デフレの影響でしょうか。私のところに、多くのメディアから取材があります。「この商品の原価率はどのくらいなのか?」と。もちろん、喜んでお答えはしますけれど、それは物事の一面しか見ていない、と私は思います。
わかりやすい例をあげましょう。たとえば、フレンチレストランでは、ディナーコースの割引券を乱発することが通例となっています。高級ディナーコースであっても、5000円引きとかね。これでは「儲からないだろう」というわけです。しかし、実際のフレンチレストランの利益構造はディナーコースにはありません。ディナーコースに誘っておいて、そのお客にワインを飲ませることで成り立っています。ディナーコースを楽しんでいるときに、「ワインどうですか?」と訊かれたらついつい注文してしまいますよね。ワインの利益がもっとも大きく、お会計のときにワイン代のほうが高かった、などということもありえます。だから、ディナーコースの原価率だけを見てもフレンチレストランの利益構造などわかりません。
そのフレンチレストランとiPadと並列で論じてしまうことは不遜でしょうか。私はそう思いません。一つの商品や製品の原価率だけで見ては物事の本質を理解できなくなる。そのような「複合系経済」の到来が、ついに製造業の世界にも及びだしたのです。
・さまざまな問題
しかし、最後に問題点も指摘しておきましょう。「iPadがすべてを変える」といったたぐいの言論です。もちろん、一部は変えるでしょう。人によっては、ライフスタイルに利便性を付加できる人もいるかもしれません。ただ、それは「すべてを変える」ものではありません。
利用者側の利便性があがるのか、という問題もありますが、ここではBtoCの「B」側の問題を取り上げてみます。
iPadにより、あるいはiPhoneにより、多くの人がアプリケーションを作成し、それをアップルストアから直接世界に向けて販売できることになりました。それにより、ビジネスの世界が変わるといわれていたのです。なるほど、これまでソフト会社であれば、ソフトをパッケージ化して販売するといっても、国内に留まってしまいます。世界中の人に販売するといっても、宣伝広告を届けるだけで難しいですからね。そんな状況のところ、アップルストアで販売すれば、世界中の人に直売でき、億万長者も夢ではない! ということでした。
しかし、です。有象無象のソフトを見てください。そのほとんどが売れていません。無料のソフトであればたくさんインストールされています。ただ、有料のソフトは多くの人から見向きもされず、サーバー上のデータになっているだけです。
もちろん、億万長者が登場したことは事実でしょう。ですが、その割合は非常に低く、限られています。多くのソフト会社にとっては、「直売の窓口は増えたが、そんなにたやすいものではない」ということです。それが現実。
また、著者がアップルストアで本を売ることによって出版社が不要になるといわれました。アマゾンでも同様です。著者が直接、アマゾンなどで電子書籍を売れば印税が60%だとか70%だとかいうのですよ。それが出版界を激変させるというのです。電子出版が登場したので、業界が一変するかのような言い方でした。
ほんとうかよ、です。
みなさん、ご存じですか? これだけ叫ばれている電子出版ですが、もっとも売れたものでも3000部くらいなのですよ。電子出版一冊600円として、印税がその70%でも420円。それを業者と半分にしたとして210円。これが3000部ですから、63万円。これではまったく「食えません」よね。
さらに、販売用のアプリを自前で作成できないとすると、外注費用もかかります。これでどうやって生活しろというのでしょうか。電子出版がすべてを変える、という言論にダマされないようにしたいものです。すくなくとも、なんらかの改善がない限り、電子出版だけで生活することはかなり難しいでしょうね(なお、私はアップルストアなどを利用せず、販売も自分で行うのであれば可能性はあると考えています)。
この原稿では、次のことを見てきました。iPadの問題から、人が商品を買う理由、単独商品の原価率だけを見ては危険なこと、新たなビジネスモデルが登場していること、ただ新たなビジネスモデルは全員が「食える」わけではないこと。
人(友達・他人・他者)とつながる機会は増えました。ビジネスマン(ビジネスウーマン)としては、そのつながる機会としての新たなツール(iPad等々)を無視するわけにはいかないでしょう。ただ、そのツールやプラットフォームを使ったからといって、万人が儲かるわけではありません。何かを使えば一瞬で新世界に到着できる、というのは時代の変わり目によく聞くまやかしです。新たなツールやプラットフォームを使ってどのように稼ぐかをじっくりと考えねばなりません。
iPadの衝撃とは、おそらくBtoCの「C」にあるのではなく、「B」側にとって「けっして簡単に儲かるものではない」という意味での衝撃だったのです。