接待真論(坂口孝則)
・これまで真面目に論じられなかった接待
これまで接待についてまともに論じた調達・購買関係の文章はありませんでした。なぜでしょうか。それは答えがあらかじめ決まっている種類のものだからです。
「接待はいけません」、あるいは「断れないときはやむなしであるが、基本的には断りなさい」という二つの結論以外ありませんでした。結論が決まっており、かつあまり論じるとそもそも接待をたくさん受けたことがある人に思われることもあってなかなか正面から論じることができなかったのです。
それがゆえに、残念ながら接待について論じられる機会は、奪われてきました。誰にとって残念かどうかはわからないものの、まあそういうことです。
さて、ここでは接待というものについて、皮相的な議論ではなく、根本意味から取り上げてみたいと思います。
なぜ、そのような動機に至ったかというと、私の周りのバイヤーにこそっと「これまでどのような接待を受けてきたか」という質問をしたところ、凄い回答が返ってきました(笑) ほんとうに凄い(笑)
建前上は「受けていないはず」の接待でありながら、実はかなり盛んではないか。そう思うに至りました。さて、私は彼らのような接待を受けてしまうバイヤーたちを倫理的に批判することはしません。それは無意味であり、なぜ現状と建前が乖離した現状が生じているかを探ることのほうが、より興味深いからです。
まず、接待とは、軍事上のものでした。籠絡したい相手にたいして、食事を共にすることで意見の一致をはかり、接待する側に有利な方向付けを狙ったわけです。なぜ、接待か。なぜ、食事を共にする必要があったのか。それは、食事というものが、基本的に一つのテーブルで行われ、その際は両手を使うことにより武器類を保有できないはずだ、というきわめて実務的な要請からでした。
話していて、いきなり武器を振り回されてはどうしようもありませんからね。まず、相手に攻撃させない、という点は非常に重要だったわけです。そして、それが一般の社交に広がっていきました。
それには、もう一つの理由があったのです。それは、同じ食事をともにするという事実でした。生物学的に明らかになったとおり、共同体の中で同じ食事を共にし、同じ耐性を共有するということは大変大切なことです。相手は、環境変化をともに経験し、生き残っていかねばならない仲間になります。つまり、同じ食事を「一緒にできるか」というファクターは「一緒に生きる」ということの試金石だったわけです。
・男女交際と接待と
なぜ、男女が交際をはじめるときに「一緒にメシを食おうよ」というのか。それは、慣例的なものではありません。それは、生物学上、生存のために組み込まれた実利的な営みだったわけです。
同じ食事を苦も無く共にできる、ということは、そのまま一緒に暮らすことができる、ということです。近年のグルメブームでは失念されていましたが、もともと重要なのは「何を食べるか」ではなく「一緒に食べて苦ではないか」ということになります。この観点をもらしている議論は、あまり価値がないように私には感じられるのです。
この前提から、グラスというものを見てみましょう。杯、とは妙な形をしていることに気づきます。下側が尖っていてなかなか置きにくいものになっているはずです。これはもともと地面やテーブルに置くことを前提としていません。置かず、むしろ手に保持し続けることで、相手と同空間にいることを共有するものでした。
杯を置く、とは、すなわち中の液体を飲み干すことを意味します。相手から授けられた共生の液体(すなわち酒のことです)を受け入れることができるか、それが試されていたのですね。だから、「イッキ飲み」という行為も、意味がなかったわけではありません。あれこそ、相手との共存を誇示するためのものだったからです。
繰り返しましょう。杯とは単なる道具ではありません。それは手に保持し、かつ中身を飲み干すことで、相手との同化を狙ったものでした。最近の心理学用語では、これをラポールと呼びます。ラポールとは相手との親密な状況のことを指します。ラポールは、安易な方法としては食事を共にするということが考えられ、現代に至るまで、綿々と接待文化が続いてきたというわけです。
酒席をセッティングするだけであれば安易だ、といってよいのでしょうか。いいでしょう。お金さえあればできるのですから。だから、建前とは別に水面下では多くの業者や営業マンが接待を繰り返してきたというわけです。MRなどを見てください。あれなどは、医者と接待漬けではないですか。くれぐれも体だけはお大事に、です。それ以外はかける言葉も思い浮かびません。
さて、これまで述べたことは接待が続く背景ではあったものの、それから導かれる将来像ではありませんでした。接待が継続される理由はわかった。では、これからどうすればよいのでしょうか。答えは、簡単に明らかになるはずはありません。企業文化や個人の嗜好が色濃く反映されるからです。
しかし、少しだけ予想を述べることはできます。
それは、より先進的な方法でラポールを作る技術が開発されるだろう、ということです。現在でも、某優良企業は、優れた売上をあげるために、接待費はほとんど使っていないといいます。もはや接待に頼ることなく、顧客の信頼を勝ち得ているというわけです。
実際、海外などでSMP(セールス・マーケティグ・プロモーション)の研究においては、ラポールを意図的に発生させる手法が研究されています。接待なくして、お客が勝手に選んでくれるに越したことはないですからね。
・接待とラポール
ラポール生成の技術という意味では、やはりアメリカは進んでいます。心理学や生物学、インセンティヴの仕組みまでを取り入れ、相手を籠絡する方法について綿密なリサーチとともに進化を図ってきました。
接待といえば、BtoBを想像してしまいます。ただ、BtoCでの一例をいえば、アメリカのジーンズ小売店(正確にはジーンズも売っているアパレル最大手チェーン)では、入り口から、目玉商品の置き場、音楽、商品配置まで、すべてが統計データとともにお客と店側にラポールが生じてしまうように「設計」されています。お客は入店してしまうと、どうしても店の奥まで行かざるを得ず、かつ奥に入るとバックミュージックの音量が高めに設定されており、異空間に迷んだような錯覚に陥り、その瞬間に店員が声をかける……という仕組みです。
こう書くと、なんでもないような仕掛けに思えます。ただ、これが統計上、お客のペースを奪い、店側に主導権を移すという心理的手法となっています。今では、お客とのあいだにラポールを創りあげるために、音楽を指導するコンサルタントという職業まで成立しました。
BtoBにおいても同様です。これらは、いつか別の機会で書いてみたいと思います。
接待を私は否定しないものの、先進的な試みにおいては、脱・接待の動きがある。これだけは忘れてはいけないと思うのです。
今では接待を繰り返せば仕事を受注することができる、と考えている単純な営業部隊はいないでしょうけれど。これまで、接待が残っている背景と、将来の脱・接待に向けた取り組みを少し紹介してきました。
接待が完全になくなるとは、やや寂しいと感じる人もいるかもしれません。ただし、現在ではすべてにROI(費用対効果、あるいは投資対利益)の指標を求められている時代です。接待に、蒙昧な効果を求めるのではなく、定量的な「効用」を求める動きは加速していくでしょう。
先週も、銀座で接待にまみれたビジネスマンたちを見るにつけ、私はそんなことを考えていました。