調達担当者がバカではなく評価制度がバカなのだ
バカボンのパパみたいなのだ。という冗談は置いておいて、やはりここは日産自動車のカルロス・ゴーンさんについて書かねばならないだろうと思っていました。有価証券報告書の虚偽記載を発端に、「どっかで毎晩、豪華なディナーを食っていた」とか「本の印税は自分で独り占めにしていた」とか、今回の容疑とはまったく無関係の内容まで、カルロス・ゴーンさんが金銭奴というイメージを作り上げるために報じられていました。この国は、メディアから「こいつに石を投げてOK」と認定されたらなにをやってもいいのかね。卑しいひとたちが多いように感じます。
しかし、現時点では、本人は容疑を否定しているし、まだまだ実態がわかりません。そこで、ゴーンさんのことは情報が集まって、フェアに書けるようになるまで待とうと思います。
話を少し変えます。みなさんは、江戸時代の家屋が、ある一時期、間口を小さく小さくなったことをご存知でしょうか。それはお上が税金を計算するときに、現在でいう固定資産税のようなものを、間口の大きさで決めたからです。つまり、間口さえ見れば、全体の大きさをおおむね推測できるだろう、というわけです。間口が小さかったら、税金は安く。大きかったら高く。それは役人からすると合理的な手段だったかもしれません。効率的だったでしょう。
しかし、そのうちに、間口だけ小さくする家屋が登場しました。これは制度が、現実社会を捻じ曲げてしまった一例です。庶民からすると、間口を小さくすればメリットがあるわけですから、やりますよね。たとえば、「アンネの日記」で知られるアンネフランクは、迫害から逃れるために窓のない自宅で身を潜めていました。当時の税率が、窓の数で計算していたからなんですよね。
このように評価というのは、人びとの行動を変化させます。先日、ある調達部長さんと話していたら、「どうも部員のコスト査定能力が低い」とおっしゃる。ですから私は、「部員の方々は、それを行うインセンティブがありますか」と質問しました。どうやらなさそうです。さらにコスト削減の基準は、初回の見積書価格になっています。それなら、まずサプライヤに高めに出してもらって、それを基準額としコスト削減を演出するようになりますよ。だって、その制度だったら、そうするほうがもっとも評価されるんですから。
このような話をすると「高い倫理感をもって仕事をしてほしい」というひとがいます。私も同感です。会社の評価がどうであれ、自分の人生とキャリアのために、やるべきことをやってほしい。ただ、それでもなお、大半のひとにとっては、最小限の労力で、最大限の評価を勝ち取りたいと願うものです。
また、よく上司の方々から「若手には、貪欲に知識を学習してほしい」といった話を聞かされます。これはつまり「若手は現状では、勉強していない」という意味なんでしょう。ただ、私はそのような発言を聞くたびに、広い知識が必要な業務を与えていないのではないかと疑ってしまいます。なぜなら、貪欲に知識を学習せざるをえない環境であれば、きっと若手のみんなも学ぶだろうから。
ところで、ゴーンさんと無関係かというと、ちょっとだけつながっています。ストックオプションという制度があります。株価100円だったところ、株価300円になったとします。株を100円で買える権利を付与するものと、その差額(200円)を何倍かして現金でもらえる二パターンがあります。会社は株主の持ち物です。株主が、「いいか。経営陣は株価の上昇額で評価するぞ」と宣言したとします。
当然ですが、経営陣からすると、何はともあれ株価の上昇だけを目指すのが合理的行動となります。株価は将来の企業価値を含むものですから、株価を上げるためには全方位的に企業経営にあたる必要があります。ただ、実際には株価は、ちょっとしたイメージや言説で大きく変わります。そのときに、評価制度として株価を採用し続けるのがいいかは議論の余地があるでしょう。
繰り返します。人間は自分を取り巻く評価制度からは逃れられないのです。