東芝の愉快な面々
ある仕事で、昔の経営者たちがどんなことをインタビューで語ったかを調べています。といっても数年前ていどではなく、30年前とか40年前のものです。したがって、現代から見ると、あまりに凄いことを語っている場合があります。固有名詞は省きますが、某社の社長が二号さんについて語りだしたり、軍需産業に関わる企業のトップが核爆弾は神様だからそのおかげで戦争が抑止されていると語ったりとか。いまでは炎上する発言にあふれています。
ところで、良くも悪くも率直すぎるというか、あっけらかんと話していて「おいおい。こんなこと話して大丈夫かよ」と思わせるのが、東芝の元社長だった岩田弐夫さんのインタビューです。いろいろなインタビューを読んでも、岩田さんのはほんとうに面白い。特に最高なのが、1976年に作家の城山三郎さんによるインタビューです。
いきなり飛ばしています。城山さんから経営の抱負を聞かれた岩田さんは「知らんよ。こんなボンクラには抱負はないよ」と断言します。また岩田さんは社長秘書だったのですが、かつて上司だった社長との思い出を聞かれると「ぼくは忠実なる秘書ですよ。酒一杯飲んだといってはほっぺたをなぐられたり、それは大変だよ」と、ひたすら大変だった現実を話し始めます。
さらに若手時代は、接待の際「ぼくはいちばん隅に座ってお客に酒がいっているか、芸者がついているか注意してみていた。ところが一瞬ポカンとしていたら、たまたま若い芸者がぼくの所へ来て酒をついでくれたので、一杯飲んで話をした。そうしたら帰りに●●さんに横ビンタをはられた」(原文では●●には名前が記載されていますが趣旨ではないためあえて伏せ字にしました)と述べています。
「え、これ社長インタビュー?」と思うほど、話しすぎているのです。これまで仕えてきた東芝の上司に、どれだけメチャクチャにいじめられたかが連綿と語られています。ただ、奇妙なことになんら悲壮感を抱きません。おそらくご本人の人柄のせいでしょうか。
ここまで私の文章を読んで読者は、「なるほど、トップに反抗できない雰囲気は昔からだったのか」と思われるかもしれません。しかし、私の意図はまったく逆なのです。むしろ全体としては愉快な雰囲気に満ちています。インタビュアーの城山三郎さんも、「こうした生き方の人が、マンモス企業のトップになれるということは、世の中すてたものではない」と、褒め言葉だかなんだかわからない感想を吐露しています。
「ああ、大変だっただろうけれども、面白かったんだろうな」と思わせるにじゅうぶんで、写真にあふれる笑顔がなによりもそれを物語っています。「楽しそうな時代だなあ」とも思ってしまいました。なぜならば、「いまは大変だけれども将来は明るい」、と確信しているように思えたからです。これは当時の日本人の共通認識ではないでしょうか。
ところで、私は、一連の報道が流れる前に(「不適切会計」)、東芝の方々と仕事をしたことがあります。私は悪い印象をもつどころか、むしろ良い印象をもっています。一連の報道で、内部の風通しが悪いとか、上司に何もいえない雰囲気だとかいわれていますが、私はさほど信じていません。先日、むしろ東芝を応援する記事を書こうと思いましたが、編集者に拒否されてしまいました。いま機会を狙っているところです。
私は昔を美化しようとも、現代を必要以上に卑下しょうとも思いません。ただ、あまり深い意味を考えないでほしいのですが、「つらかったことを明るく話す知恵は、先人から学ぶところがある」と思ってしまいます。つらいことの最後に「(笑)」とつける余裕が、いまの企業人に必要かもしれません。