なぜ日本の将来は「明るい」と断言できるのか

海外調達だとかのセミナーで話したり、中小企業の生産減少などといった講演をしたりすると、かならず「日本の将来は暗い」と主催者から聞かされます。参加者も、「日本の将来は暗い」という前提でご質問なさるケースが大半です。しかし、ミクロを見るとわかりませんが、マクロで見ればあきらかに日本は便利で住みやすい国になっているとしか私には思えません。

かつて、セミナーの受講者で「ぼくはできれば60年代に生まれたかった。学生運動とか熱中できる対象がほしかった」と聞かされて驚愕しました。あんな不便な時代に戻りたいなど想像すらつきません。これは繰り返し指摘していますが、戦後から凶悪犯罪は減少し、事故も減り、生産物の不良品も減少し、衛生環境は改善し続けました。対話のなかで、「日本はどんどん良くなっていますね」というと、信じられないといった顔をされます。これだけ多くのひとたちが会社員として社会の利便性向上のために働いているのですから、社会が良くならないはずはありません。

私は思考訓練として、「現代だけが悪い時代だ」と思わないようにしています。むしろ、「昔から人間は悲観的になりがちではないか」と普遍性を考えるべきです。たいてい、人間なんてほとんど変わっていないのですから。

さて、そういうことで、調べてみました。「亡国論」と名前がついた書籍は170冊ほど発売されており、時代による違いはありません。ちなみに「日本崩壊」は80冊です。「日本滅亡」もけっこうあります。さて、どの時代にも、「日本はダメだ」「日本は沈没する」「日本は破綻する」といわれたわけですけれど、これまで何回ほど破綻したのでしょうか。

私が著者として駆け出しのころ、「こうしないと日本に将来はない」といった表現を止めろ、と教えてくれたひとがいます。感謝しています。脅しは十分に効果的ですが、結局のところ何も生み出しませんし、意味がありません。度肝を抜く悲観論はもう聞き飽きました。できれば、誰か度肝を抜くような楽観論を聞かせてほしいものです。

「このままだと日本は滅びる」系を語るひとは、滅びなかったら「改善された」「近い将来にやっぱり滅びる」といえば済みます。だから「このままだと日本は滅びる」と語るのはラクなのです。しかし、こうなったら、日本は滅びる、と単純な等式が成り立つほど簡単にできていないのです。ギリシアが破綻するとアメリカやアジア諸国にまで波及します。逆に、ちょっとした好景気循環が日本に恩恵をもたらすこともあります。

もっと正直にいうと、もはや誰も将来を予想できるほど、わかりやすい世界ではないのです。後輩から訊かれたら先輩はそれっぽい解説をせねばなりません。ただ、原価計算くらいなら説明できても、日本の将来とか世界の今後を理屈だてて予想することなど、どんな知性をもってしても無理なのです。

小さな息子から「パパはなんでテレビに出ているの」と訊かれます。それがセミナー受講者からの質問なら、それっぽく語るでしょう。でも、そんなのは後付でしかないのです。たまたまこうなってしまった、以外の言葉はありません。だから、そういうときの真摯な答えは、このようなものでしかありえないのです。「わからない。でも、楽観的に、かつ目の前のことを真剣に生きろ。そうすれば、悪くはならない。それにお前を助けてくれるひとがかならずいる」と。

アメリカ人はポジティブシンキングとよくいいます。しかし、私は、かつてアメリカの将来が混沌とするなかで、そういう考えを採用せねばならなかった哀しみをそこに読むべきだと思うのです。「まあ、将来はわからないけど、少なくとも、将来が明るいと断言するくらいはできるぞ」と。

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