額に汗して働く生き方は尊くない(坂口孝則)

私たちは様々な価値が混在する世界に生きています。「汗水たらして頑張る生き方」が美化される一方で、中国では汗水たらして1時間働いても100円にしかならない職場はたくさんあります。と思えば、「買いたくなければ、買ってくれなくてもよい」と原価100円のチップを5万円で売りつけフェラーリに乗っているハイテク企業もいます。その事実を前に、日本で「汗水たらして働くこと」を美化する人たちは、自身の子供が中国で働いて低賃に甘んじることを許容できるでしょうか。

私たちは、ときに時給100円の労働者を使うサプライヤーから製品を調達し、ときに5万円のチップを売ってもらうために頭を下げて調達「させていただく」ことになります。ここで善悪の問題は論じませんし、私にその力量もありません。事実がただそこにあるだけです。

ところで私の尊敬する松下幸之助さんが、次のようなことを書いています。「額に汗して働く姿は尊い。だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。(中略)人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い」(『道をひらく』)。なるほど、松下幸之助さんは当然のことをいっているにすぎません、しかし、私は氏がこれを発することに驚きを覚えました。それは、氏のことを単なる愚直崇拝主義者と思っていたからではありません。「いつまでも額に汗して働くのは知恵のない話」と、気持ち良いほど断言しているからです。

ちなみに、現在、ITや金融業のことを虚業と呼ぶひとたちがいます。私は、あのような職業差別的発言をする勇気はありません。また、製造業だけを盲信する気にもなれません。私はどちらかというと、「ものづくりが国の基盤だ」とする考えに近いと思います。しかし、この製造業も、かつて国民の大半が農業に従業していた際には、「国の根幹たる農業人口を減らして、製造業などといったモノの生産に移管するのはケシカラン」と批判されていました。いま自分たちが常識と思っているものも、ほとんどが近年に「発明」された概念であることは自覚したいものです。

ところで私は、前述の松下幸之助さんの発言はやはり正しいと考えます。そしてまわりが「私って頑張っているんですゥ」と自虐自慢ばかりするのではなく、「私は仕事が速いのでいつもヒマです」と自慢してほしいと願っています。なぜなら、前者は聞くに耐えられません。むしろ後者は清々しい印象すら与えます。ところで、私は「原価100円のチップを5万円で売りつけフェラーリに乗っているハイテク企業」について、それを批判するのではなく、某書では、このように書きました。

<コストだけではなく、将来の製品価値を査定でき、それを社内に提示できる能力が求められているのです。通常のコストテーブルで原価をはじくと100円もしないような製品でありながら、5万円もしてしまうコアチップの先進性を自ら受け入れ、自社の最終製品の魅力度すらも左右させるような心眼が必要になっています。(中略)これからは、バイヤーそれぞれが人生的蓄積の中で培った、「自分にしか分からない価値」を市場の中から探さねばなりません。そして、その「価値」がいかに自社の最終製品につながっていくかをこれまで以上に真剣に考えることになります。

自分にしか見つけえない価値を調達・購買という形で自社に引き入れ、自社の製品として昇華させ、社会に出回ったとき。それは、バイヤーという個人を訴えるということにほかならなりません。自分の感動を、大きな世界の中で具現化するということにほかなりません。それが可能になったとき、これまで言われてきた「最適購買」という言葉の範囲には収まらないでしょう。それは、「感動購買」ともいうべき新たなバイヤーの姿です。

調達・購買の新たな可能性があるとすれば、そのような形としてしか、私はもはや信じることができません。(「調達力・購買力の基礎を身につける本」>

ちなみに、ここに額に汗しない働き方のヒントを書いたつもりですが、どのていどの方々がおわかりいただけたかどうか。

本日はここまでです。

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