【必読】誰も気づいていない調達担当者の価値(坂口孝則)
かつて、年貢なるものがありました。辞書的に書いてみると、「日本の中世において,荘園領主が領内の農民に賦課した米」だそうです。ところで、なぜ米に税金(のようなもの)がかかったかご存じですか。歴史の本などを読んでみてもわかりません。ただ、何人かの歴史家は「わかりやすいから」と指摘します。米はたしかに物質ですから、採れ高に比例させやすかったのもあるでしょう。
それに対比できるのが、商人たちの取引です。かつて、商人のおこなう取引の結果、儲けが出ても、それには課税されませんでした。米にくらべて、儲け、というのは概念的で数字には現れるのですが、その当時はわかりにくかったのですね。だからこそ、税金によって活動を制限されない商人たちは大躍進しました。
いま、おそらく現代的な意味でもっとも価値があるのは、ノウハウとそして創造性です。しかし、社員が突然おそるべきアイディアを思い浮かべたとしても、それが社員のなかにある限りは、貸借対照表にも載らず、課税対象にもなりません。それが商品や特許権といった形になれば話は違います。ただ、組織がもっているノウハウや、個人の卓越さは、課税されないものです。
と考えれば、当局は、これまでずっと本当に価値のあるものには課税できなかったことになります。
ここから得られるのは、たった一つ教訓です。
制度会計の必然的な欠陥として、ノウハウや、個人の卓越さといった現代的最大価値にも課税できないことは述べました。いや、むしろその時代ごとに為政者が気づかない箇所にこそ、すべての価値があると思って良いのではないでしょうか。
現代は、ドラッカーの指摘を待つまでもなく、それはポータブルスキルと、プログラミング、多言語にあるのは疑いえないでしょう。つまり、どの国や職場に移っても柔軟に対応できるよう、業務の標準形を徹底的に血肉化すること(ポータブルスキル)。機械から操られるのではなく、機械を操るようになること。そしてPCでの繰り返し処理をアルゴリズム化する理的頭脳を身につけること(プラグラミング)。そして、日本人以外ともビジネス上のケンカができるようになること(多言語)。
これらは、繰り返すと、個人が身につけても課税されません。優秀になるほど所得税があがるはずもありませんしね。日本円の資産は、万が一、紙くずになっても、自分に身についたスキルは一生モノです。とすれば、私たちは「預貯金より投資」ではなく「預貯金より学習」と心せねばならないでしょう。
実は私は計画を立て、数年前から統計学を復習しはじめました。それは書籍を書けるレベルになったので、次はプログラミングを学習しています。そのうち、アプリをリリースする予定です(本気)。そして同時に語学も復習して書籍を書くレベルにまでもっていきます。「年収の1割を自己投資に」と勧めるひとがいますが、私の師匠は「希望年収の1割を使え」といっていました。懐かしい教訓です。