バカを説得する価値はあるか(調達業務と効率を考える)(坂口孝則)

テレビとラジオに出演し、雑誌二つとネットサイト3つに連載をもち、講演などで話していると、いろいろな苦情が届きます。匿名の場合もありますし、そうではない場合もあります。手段としては、ネットで批判を書かれるケース、そしてメールが大半です。しかし、私をいくつかフォローいただいているひとはわかりのとおり、それに私はほとんど返信をしません。

私が驚くのは、多くのひとが感情的に反論をしたり、再批判をしたりすることです。これは論理的におかしいと思います。というのも、相手がバカだと思っているのであれば、相手は自分の反論を理解できるはずがありません。だから不毛です。不毛なものに時間を費やすのはムダです。

哲学者の永井均さんは、神がいるのであれば祈ることはしない、といいました。だって、祈っても祈らなくても、神がいれば、神は自分にそう操作しているはずだからです。私は、感心した記憶があります。

浄土真宗の親鸞は、「たくさん念仏を唱えること」を否定しました。それまで熱心な修行と思われていた行為をなぜ否定したのか。それは、たくさん念仏を唱えるのは、仏様を信じていないからです。ほんとうに信じていれば、何度も確認するような非礼な行為をしないはずです。そこから親鸞は悪人正機に行き着くのですが、それは省略します。この論理の強引さとその魅力に私は感心しました。

自分が無意識な行為の大半は、このように理屈で考えていけば、省略できるのではないか、と私は考えています。私は会社員時代、多くの社員が、他の社員を感情的に言い負かせたり、不毛な議論を重ねたりする姿を見てきました。

しかし、冷静に考えれば、それらの時間はムダでしかありません。

相手を変えようとしてはいけません。ポケモンGOが教えてくれたもっとも大きな教訓は、「世界を変えようとするな。世界の見方を変えたほうが、よっぽど世界は変わる」という、いささか哲学的なことでした。ポケモンGOで、ひとびとは街中を歩きまわり、意外なスポットを発見しました。それは、ポケモンGOがなければ、立ち寄りすらしなかったよな場所であり、観光名所でもなかったところです。

しかし、実は、見えていなかった。世界は変わってはいません。変わったのは、見方だけです。しかも、見方を変えるだけで、世界がこんなに魅力的な場所にあふれると理解できました。

仕事でも同じではないでしょうか。私は以前、営業のひとから暴言を吐かれるたびに、その発言と日時などをメモしていました。そうすると、暴言を吐かれるたびに、メルマガのネタがどんどん溜まっていきました。早く誰かから暴言をいわれないか期待していたほどです。

おかしなひとも、それを反論する対象と見るのではなく、「こういう考え方もあるのか」「なぜこのひとはこういう考えを意固地に主張するのか」「このような無能が雇用され続けている企業体質とは何か」などと考えれば、さまざまな思考が広がるはずです。無理に反論するよりも、思惟を重ねるほうが、魅力的な人間になると思いませんか?

あえて文章を飛躍させて終わると、調達業務は、ムダな議論と会議をやめれば、おそらく半分の時間で済むはずです。

無料で最強の調達・購買教材を提供していますのでご覧ください

あわせて読みたい