書評「アドバイスかと思ったら呪いだった。」(犬山紙子さん)

私は人生相談など、どのような意味があるのか不思議でした。というのも、悩みを語るひとは、解決策を求めているわけではなく、単にきいてほしいからです。さらに、私も無数の相談に乗ってきましたが、その提示された解決策を実行するひとはほとんどいません。

しかし、私の考えが変わったのは、歴史上の人生相談を調べていたときです。人生相談は意味があります。というのは、人生相談の回答が、その時代における常識を無意識のうちに象徴するからです。というのは、人生相談は究極のところ、読者が「ああ、なるほどな」とか「ああ、うまいアドバイスだな」とか「ああ、考えたことはなかったけれど、たしかにそうだ」と思わせるものではないければなりません。だから、人生相談とは、その時代の良識と常識と、論者の「巧みさ」が表出するわけです。

その意味で、犬山紙子さんの「アドバイスかと思ったら呪いだった。」を読むと面白いでしょう。個別の相談は、犬山さんの読者がうけた「クソバイス(糞レベルのアドバイス)」について、面白い返答をする構成となっています。しかし、ここで書かれているのは、犬山紙子さんという、現在の知性が語る、「先端の良識と常識」にほかなりません。

この回答自体も、もちろん、時代の経緯とともに評価を受けるはずです。しかし、その評価とは別次元に、この現代での「先端の良識と常識」を示す歴史的な資料となっています。

ところで、私も人生相談に乗りたいな、と思わせる快書でした。

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