連載2回目「日本人はこれから何を買うのか」(坂口孝則)

・社会的消費におけるロハスやスローフードの発明

社会的消費が勃興したのは、すでに文化が成熟していたこと、経済が低成長で支出金額を抑えねばならなかったこと、健康志向の瀰漫……などがあった。

ここで、ロハスやスローフードは大きな役割を果たした。その説明の前に、日本のエンゲル係数の推移を見てみたい。説明は不要かもしれない。エンゲル係数は、消費支出に占める食料費の割合で、エンゲル係数が低いほど生活水準が高い。

日本には「食うために働く」なる言葉がある。それはたしかに戦後すぐは、たしかだったかもしれない。実際に、調査が開始された1946年には66.4%になっている。近年は横ばいとはいえ、その比率は戦後から比べれば劇的に下がっており、25%ていどになっている。

私たちは、もはや「食うため」ではなく、その他のために働いている。食うことだけが心配であれば、いまの給料の四分の一でじゅうぶんだ。実際に、私たちは、高カロリー食を効率的に求めるのではなく、店の雰囲気や、店との人間関係等を重視するようになった。目隠しをして食事すると、その被験者のほとんどが、高級食材と工業食品の違いがわからない事実は、まさに私たちが、食事に栄養ではない何かを求めていると示唆する。

そのとき、ロハスやスローフードといった運動は、同時に大きな発明をした。大量生産と大量消費時代には、すくなくとも、その欲望に突き進むことは害があるという認識はひとびとが共有していた。しかし、ロハスやスローフードにおいては、お墨付きをえた食品を求めることが、正義であり世界をより良くするはずだと、消費の意味をあざやかに逆転させた。

抑制的ではなく、むしろ徹底することで、自己や共同体をこえ、国家・地球レベルでの「正しい」消費になるとした。私にとっては、この意味の逆転こそが、瞠目すべき点と感じる。しかし、この観点からロハスやスローフードを眺めているひとはほとんどいない。もし、この逆転が理解できないほど当たり前としたら、おそらく、ロハスやスローフードが真に勝利しているはずだ。

大量生産の時代には、コストを下げ、そして売価を下げることが目的だった。よって、そのときあまり個人の嗜好は考慮されない。しかし、顕示消費の時代においては、有閑階級特有の嗜好が付加される。そして、社会的消費時代には、正義と公正さが文化をまとって商品に付与された。

これはきわめて興味ぶかいことだ、と私は思う。マックス・ウェーバーは、かつてプロテスタンティズムに資本主義の萌芽を見た。緻密な議論を大胆に紹介する。かつて、一日じゅう労働に費やすことは珍しいことだった。ひとびとは食うために最低限だけ働き、あとは遊戯や宗教的生活に没していた。カソリックでは、こういった、ひとびとが最低限の労働で済まそうとする性向について、それが神から与えられた人間性であると肯定した。
しかし、プロテスタントは、富を貯めようとする気持ちも、おなじく神から与えられた人間性であるとして、そのために勤勉な労働を行うことこそが、神の意向をより汲むものだとした。これは労働観のあざやかな逆転だった。

プロテスタンティズムは高度資本主義を生み、そして過剰な労働と、過剰な蓄財を生んだ。それが第二段階である「顕示消費:ブランド商品など、他階層との差異がステータスとなり購買理由となる」につながっていった。もともとは、勤勉さや禁欲が重視されていたにもかかわらず、それらはすっぽりと抜け落ち、旺盛な消費だけが取り残された。

そして、その顕示消費の代替として「社会的消費:ロハス、スローフード、エコロジー、フェアトレードなど、自己や共同体をこえ、国家・地球レベルでの「正しい」消費を志向する」が生じた。とすれば、それは歴史がめぐって、ふたたびカソリック的な局面に漂っている、といえなくもない。

かつて人びとは宗教的な常識から、食うもの以上の労働をしなかった。現在は、技術の進化と、社会全体の富が増えた。それがゆえに、エンゲル係数が低下し、人びとは文字通り、食うもの以上の労働は、趣味的志向が色濃くなってきた。あるいは、色濃くならざるをえなかった。その代表がロハス、スローフードといったものだった。

そして、ロハスやスローフードが進めば、もちろん食生活やインテリアといった分野にとどまらない。ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドのような大量生産の担い手、あるいはユニクロやのようなアパレル業者は、もちろん強者として市場に君臨しながらも、彼らだけではニーズを満たせない領域はたしかに存在する。そこに、衣料、小物雑貨、家具類にいたるまで個人や小企業が参入しはじめた。

米国ではEtsyを嚆矢とし、さまざまなハンドメイドのインターネット市場が勃興している。Etsyはわずか10年で150万もの店舗がひしめく。商品点数は3000万点をこえ、2015年にNASDAQ上場を果たした。

以前にくらべて自分の手作り品を販売する敷居は低くなった。写真を撮って、簡単な販売文章を掲げられれば、店をネット上にオープンできる。ほとんどの出店者がさほど売上高をあげられないものの、月に5万円以上を販売する主婦たちも登場しはじめた。どこまでをハンドメイド市場とするかで見解はわかれるものの、日本の市場規模で8673億円(一般社団法人日本ホビー協会『ホヒ?ー白書2014年版』)、さらに手作り商品を販売するアプリは、年率300パーセントほどの成長を続けている。

もともと1987年に京都市で手作り市をはじめたのがきっかけといわれ、それはいつしか一つのムーブメントになっていった。また、フリーマーケットは、必ずしも手作り品を販売するわけではないものの、当領域も伸びている。日本でのフリーマーケットは、1976年に大阪で開催されたことを起源とするが、いまでは中古販売も普通になった。

かつてA.トフラーは、1980年の著書『第三の波』でプロシューマーの概念を提唱した。これは、生産者と消費者のハイブリッドとなるもので、まさにこれはEtsyなどで販売している人たちと近い。しかし、トフラーは、さすがに小物雑貨までをも情報空間(インターネット)上で売買する姿までは想像していなかったように思う。その意味で、これは現代的な潮流である。

ところで、江戸時代から、つい最近まで日本はマス・カスタマイゼーションの大国だった。一例として婦人服をあげよう。1960年の調査では、ヨーロッパは全体の90%、アメリカでは95%が既製服として流通していた。それにたいして日本では既製服の比率はわずか40%であり、60%はオーダーメイドだった。

調査年代が異なってしまうものの、家庭においても1954年には62%がミシンを有し、これは他国と比しても高比率だった。さらに、この女性たちは自家用衣料を縫製するだけではなく、多数が内職の形で産業に貢献していたと見られる(アンドルー・ゴードンさん著「ミシンと日本の近代」)。

<つづく>

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