哀しき大人たちの思い出(坂口孝則)

哀しい大人たちの偶像

だいぶ前の話だけれど、ビジネスマンたちの勉強会を主催していたことがある。対象者は22歳から35歳までの、若手たちが中心だった。勉強会といっても、高尚なことは何もない。さまざまな業界の講演者たちの話を聞いて、その後、酒を飲む。それだけを繰り返していた。

勉強会と飲み会、どちらの比重が高いかというと、参加者の意識は完全に、後半の飲み会だった。会は14時から17時までの3時間。でも、その後の飲み会は6時間くらいは続いた。いま思えば、それは若手ビジネスマンだった私たちの孤独を埋めるものだった。職場にはさほど多くない同世代たちとの意見交換。それはたしかに貴重だったに違いない。

その後、メンバーの多くは結婚したり、転勤したり、会がマンネリになってしまったり、飽きたり、このような勉強会が陥るとおり2年ほどでその活動を止めてしまった。
とはいえ、私の思い出として悪いものではない。あるとき、その勉強会に参加した男性の知人と朝4時に、飲み屋から叩き出されて新橋付近で彷徨っていたときの、肌寒い感覚をいまでも思い出すことができる。「始発までどうしようか」と話し合いながら、私たちは意味もなく笑った。そのとき、人生は愉しい、と知った。時間をそれほど無意味に浪費できるのも若者の特権なのかもしれない。

それともう一つ、私にとって良かったことがある。

勉強会では、私が代表して、各業界の人たちに講演をお願いをすることになっていた。もし可能だったら、その勉強会で話していただく人たちに、事前に話を伺いに行く。その過程でさまざまなことを学べたことだ。

依頼先は、さまざまな人がいる。本を書いている著者もたくさんいた。「年少者にも礼を尽くせ」と書いている人がいたけれど、残念ながら私はその人から「礼」なるものを感じることはできなかった。自著で「怒らないこと」を勧めている人もいた。しかし、実際に会いに行けば、その人はアシスタントに怒鳴り散らしているように見えた。私は、本と著者は無関係である、という立場である。それにしてもなお、私の心にはさまざまなことが刻まれた。

もちろん、こちらが社会人といっても、歴は短い。知り合いの取引先以外に出向く経験もない。だから非礼な点も多かっただろう。だが、私が印象深かったのは、「本と著者のギャップ」だけではない。もっと、私を驚かせたのは、多くの人たちの「優しさ」だった。

その人の本を読む。会いたいです、という。今度、勉強会で話してください、という。いま逆の立場になって思えば、私だったら断るシチュエーションだ。しかし、その当時、ほとんどの人が私の面談依頼を快諾いただき、対面して話すことができた。しかも、何の手土産も持たずにやってきた、目の前のどこの馬の骨かもわからない若者に、自分の人生や思想を裸にして語りだすのである。

「本を読んでこの点について、こう考えたんですが」と私がいう。すると、目つきが変わったことがわかる。「本にお書きの内容ついて、実は反論があるんですが」と、若手の特権の生意気さを前面に出し評論を試みると、ニヤリと笑った目の前の大人が次々と語りだしてくる。

まるで、語りたかったみたいに。まるで、私以外は誰もその人の意見をきいてくれなかったみたいに。

なかには経営者の方々もいた。経営者ならば、時間を惜しんで働いているはずだ。しかし、相手の時間を気にしている私をよそに、「聞きたいことがあれば、なんでも聞け。時間は気にするな」と言ってくださった方も多い。むしろ、なかには私の帰宅を惜しんでくれた人もいる。「もう帰るのか」と声をかけてくれた人もいる。さすがに申し訳ありませんから、と席を立って別れると、惜別の情を抱く少年のような表情を浮かべてくれた人もいる。

そこにいたのは寂しい、孤独な、一人の男性だったのである。


弱い人たちと強い人たち

あるとき、勉強会を主催していた女性と、一人の経営者のもとに話を聞きに行ったことがある。次回の講演会の出演依頼だった。オフィスに通され、一通りの依頼内容を話し、快諾してもらったあと、話が盛り上がり近くのレストランで食事をすることになった。

さまざまなことを話したあと、社会に出たての私は、一つの疑問を尋ねてみた。「どうやったら、社長のように儲かるのですか」と。

すると、その男性は私のほうを見て、突然真面目な表情で語ってくれた。

いいかい。多くの男たちは、お金がほしいっていうけどね、ほんとにお金だけほしいんじゃない。やりたいことでお金を稼ごうって思う。汚くても、お金だけ稼ぐっていうことに、ほとんどの人は慣れていないんだ。やりたいこととか、社会的に意味があるとか、そんなことを考えていたら、さほどお金は稼げないよ。ほんとうに稼ぎたかったらね、強い人たちや頭のいい人たちを相手にするんじゃない。弱い人たち、お金をあまり持っていない人たちを相手にするんだ。弱い人達から、もっとお金をひっぱるのが一番だ。弱い人たちを、より弱くすることにコツがある。

そう教えてくれた男性は「そんな仕事でも良かったら、いつでも相談にきなさい」とつぶやいた。

残念ながら私は、この人に相談しに行く機会には恵まれていない。まだ私はやりたいことでお金を稼ごうとしているようだ。私は、この人はソフトウェア会社の経営でだけ生活をしているものだと思っていた。しかし、この食事のあと「お金に目が眩んだ人たちに情報商材を販売していて、そっちのほうが収入源になっているみたい」と聞かされた。

後日、同行した女性に教えてもらったホームページには、「人生大逆転」のための情報商材が並んでいた。携帯アフィリエイトを駆使することで、数ヶ月で数百万円を稼ぐことができる。なかにはこのノウハウを元に8000万円を短期間で稼いだ奴がいる、と書かれていた。私にはその商材で、ほんとうに人生が逆転できるかはわからなかった。しかし、それを販売している側のほうが、たしかに儲かるようには感じられた。

弱い人たちを、より弱くすることにコツがある――。

そのレストランでの食事の帰り、女性は私に、
「大人の人って、みんな哀しいね。寂しいね」
といった。

そのときの寂しげな表情を、なぜだか私はずっと覚えている。

社会のなかの凡庸な私

冒頭で、かつて自ら主催していた勉強会に講師をお願いするときのエピソードについて述べた。

実は、もう一つの忘れられないエピソードがある。

その勉強会を終えようとしていたときに、主要メンバーで集まって、一つの総括をしようとしていた。これまで講演者から聞いた人生論や教訓、そして仕事論。どう働けばよいのか、どう生きればよいのか。演台に立つほどすぐれた人たちは、これまでどのような工夫を施してきたのか。

それまでの講演の要諦をまとめると、たった三つの点に集約することができた。
・「朝早く起きて仕事をすること」
・「学び続けること」
・「人にはできるだけ優しく接すること」
朝から仕事を重ねて、学ぶことを忘れず、そして周囲に優しくすれば、たしかに仕事の成功が待っているだろう。そして、それらを愚直に続けてきたことが、たしかに彼らの優位性を確保していたのだろう。

それにしても、なんと凡庸で、面白みのないものだろうか。

私たちが聞いてきたり読んできたりした成功譚は、せいぜいこの三つを混ぜ合わせたり、表面的には目新しい言葉をまぶしたり、あるいは細かく砕いたりしながら、この凡庸さを凡庸と感じさせないようにしていただけなのである。

でも、この三つだけでは講演にはならないね、とみんなは笑いあった。しかし、私だけは笑えずにいた。

大切なのはその三つの凡庸な習慣である。しかし、私たちは、その凡庸さに耐えることができないのではないか。私たちは、ほんとうに大切な凡庸さに耐えることができず、いつでも過剰で皮相的な言葉を求め歩いている。

英語を学んでも、資格試験に合格しても、転職しても、メディアに出ても、人生が劇的に好転することはない。メディアで紹介される成功譚は、あたかも一つの出来事が、誰かの人生に影響を与えたように描かれる。しかし、実際の人生はそれほど単純ではない。たった一つの出来事だけが人生を激変させることはない。凡庸な私たちは、凡庸な努力の重なりのなかから、少しずつ、少しずつ、人生を良い方向に向けていくしかないのである。

といいながら、それほど醒めきった私であっても、ときに人生の逆転をふと希求していることがある。そのとき、また「他人はそうかもしれない。でも、自分だけは特別かもしれない」という邪険な思いが、また私は過ぎろうとするのだ。おそらく私たちは、平凡で、特別でもなく、無数にいる人間のなかの一人、という存在規定に耐えられないのだろう、と思う。宇宙のなかで、ちっぽけな自分、というどうしようもない無力感を抱きたくないのだ。

自分にだけ降り注ぐ奇跡。それを求めようとする気持ちが、スーツにまとわりついた煙草のけむりのように、私たちから離れない。

* * *

その勉強会の最後の飲み会で、私たちは帰るあてもなく、朝の渋谷をぶらついていた。各界の有名人を呼んで話を聞き、著名人たちとコネクションを築くことによって、自分たちの人生を好転させることができるのではないか――。そもそも、そのような意図をもってはじめた勉強会だったが、どうも文字通り「凡庸」なところで終わりそうであった。

要するに、飲み会は開いたが、それでおしまい。著名人と仲良くなったところで、それが何らかの改善につながるわけでもない。少しのミーハー気分と、少しの虚栄心を満たしただけだった。

3時頃から入店したビルのなかのバーから、明け方の渋谷駅を見ていると、誰かが「始発が動き始めた」といった。

渋谷駅につながっているJRと、東急と、地下鉄と、京王がこんがらがって、一つの音を形成しだした。朝方の駅の寂しさは、なんとも言いがたい。酔いつぶれたものや、騒ぎ足りないものや、だるく一日をはじめたばかりのものたちの、だらだらとした雰囲気が充満していた。

「電車が来たよ」とまた誰かがいった。
しばらくすると、また
「電車が来たよ」と誰かがいった。
もう勉強会終了の感傷に飽きて、もう「帰ろう」というメッセージだった。

電車が次々にやってきたが、その違いはなかった。東からやってきて、30秒ほど立ち止まって、西にぬける。あまりに正確に、かけぬけつづけていた。

最後の晩餐を終え、ふらふらになりながらホームに歩いていると、私たちと同じような朝帰り組と重なりあって、私はついにさきほどまで飲んでいた連中を見失ってしまった。歩いている人たちの顔を見ていると、彼のものも、彼女のものも、違いがわからなくなった。そして、私はたしかに、群れのなかの一欠片にすぎなかった。右も左もわからなくなった。自分がどこから歩んできたのかさえ、わからなくなった。

自分が特別な存在ではなく、多くのなかにいる、たった一つの人間にすぎない、と思うとき、なぜだか渋谷のあの光景が浮かんでくる。

ああ、もう6時だ。

凡庸な私は、そのまま自宅に向かって電車に乗り出した。

無料で最強の調達・購買教材を提供していますのでご覧ください

あわせて読みたい