今日もバンザイを探しに(坂口孝則)
私は処女作「調達力・購買力の基礎を身につける本」で「調達・購買業務にはバンザイがない」と書いた。この箇所が一番、読者の共感を呼んだようだ。そこで、このことを思うに至ったときに書いた文章がある。この文章も共感していただければ幸いだ。
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「なんでわかんないかなー。違うんですよ」
勉強好きの営業マンがいた。なんでも分かっている、というのだった。その営業マンは、目の前のバイヤーに対して、色々なことを語っていた。
これから、この製品の市場はどうなっていくのか?そして、エンドユーザーの動向はどうなっていくのか?あたかもその営業マンにかかれば、全ての市場動向やら技術トレンドがその営業マンの思い通りに動くかのように語るのだった。その市場動向やら技術トレンドの延長上に自分の営業戦略があるかのような、その口ぶりを止めることのできる奴などいなかった。
そして、バイヤーがちょっと疑問を挟むと、必ずその営業マンは言うのであった。「違うんだよなー。そうじゃないんだよねー。なんでわかんないかなぁ」と。
もちろん、目の前のバイヤーとは当時の私だった。そして、目の前の営業マンとはとある商社の情報機器関連の人だった。その頃だっただろうか?雑誌が次のようなことを書き始めた。
「今からのビジネスマンに必要なのは、PCスキル・英語・国際会計である。これがこれからの3大ビジネス能力である」と。確かにその重要性は、現在も色あせることはない。ただし、やはりバイヤーや営業マンであれば直接対話する能力が、それでもなお大事だ。その重要性が分からずに、ネットサーフィンと数値遊びで分 かった気になっている人がいるから困るのだ。
「マーケットはこうなるんですよ。 なんでわからないかなー坂口さん」こんなことを平気で言うから困る。「じゃぁその根拠は?」なんて訊いてみても、「いや、マーケットの情報が示してますよ」なんていう。「誰がそんなこと言っているんですか?」と訊いてみても、「誰でも言ってますよ、誰でも」としか答えることができない。挙句の果てには、よくわからない横文字のCEOだかの名前が出てくる始末だ。
私は何回かの面談のとき言ってみた。「あのねぇ、その話全くの逆ですよ。私は他社の一番売っている営業さんから、○○○○っていう事情を聞いたんですよ」と。そしたら相手は言ってきた。
「本当かなぁ、それ本当に?その人ってキーマンですか?」。ここまできた瞬間に私は話すのを止めた。
この営業マンのような、そういう人に限ってなんたらレポートとかを大事にしている。おそらくこういうことだと思う。レポートを読んで市場の声を聞くんじゃない。市場の声を聞いて からレポートを読むのだ。逆じゃない。
以前から私は、「現場」の情報を信じること、を唱えてきた。高尚なロジックや高尚な購買論よりも、私が現場で感じたことしか私は書いていない。上記の営業マンは、私のいう現場主義から言えば、全く逆の地点に存在する人である。
しかし同時に、自分の皮膚感覚を育てるという意味では、常に逆説的な教訓になってくれる人だと思う。日ごろ思っていることは本当なのか? それは皆が言っているだけで、本当の事実は逆ではないのだろうか? そう考え、自分の皮膚感覚を鍛え上げることから、ビジネスマンの一歩が踏み出せるのではないだろうか。そう思うのだ。
私は常々思っていることであるが、バイヤー業の停頓感は、「バンザイの不在」にあるのではないだろうか。何かを成し遂げた後に、バンザイ!と皆と喜びを分けあうことができないからではないだろうか。
設計者であれば、モノを設計し、ときには自分で組み立てもやり、多くの協力会社と一緒になって、一つのモノを創り上げるという「のめりこみ感」がある。何かの製品がラインに流れ始め、製品がお客のもとに届けられ始めたとき、設計者は感動を味わうことができる。そして、各種の困難を乗り越えるというドラマがある。
NHKの「プロジェクトX」よろしく、そこには設計者の人生的蓄積を総動員してつくりあげる感動がある。それに対して、多くの場合、バイヤーには感動がない。「バンザイ!」がないのだ。
現場には信用してもいい情報が全て詰まっている。バイヤー(や前記のような種類の営業マン)には現場感覚というものが欠如していることが多くある。これは、皮膚感覚というものを衰えさせるだけでなく、モチベーションと結果に対する感動(=バンザイ!)をも消し去ってしまう。
おそらくバイヤーに必要なのは、モチベーションストラテジーであることが徐々に理解されていくだろう。「インターネットで遊んだり、書類を眺めたりするよりも、現場に感動を探しに行こう」。これをこれからの自分の信条としたい。
バンザイ、を感じるために。