ほんとうの調達・購買・資材理論(牧野直哉)
ほんとうの共同購買 2
前回は、共同購買に必要なことを2つのキーワードで表現した。一つ目は「まとめる」で、二つ目は「捨てる」だ。
一つ目は、購入側がその窓口をまとめるだけでなく、受注側・サプライヤーもまとめる(集約)事をしなければ、そのメリットは大きく生まれないこと。
そして、二つ目の「捨てる」は、サプライヤーへの要求をある程度「捨てる」姿勢(標準化)を持たないと、共同購買に参加する全ての法人の要求は同じく実現できないこと、仮に実現したとしても、それは確実にコストに反映され共同購買の意義が薄れてゆく結果になることを提起した。
バイヤーとは、社内的に購入要求が行われたものは必ず買って、確保しなければならない使命を帯びている。購入側として立場が弱い場合は、モノの確保を優先させるとの理由で、価格に代表される購入条件の悪化を苦汁の判断で受け入れることもある。元々バイヤーとは、買わなければならない、確保する必要があるとの制約の中で生き、仕事をし、責任を全うしている。よくよく考えれば、因果な商売だ。
そんな制約の中で、バイヤーが求めるモノは自由だ。ただでさえ制約に苛まれているバイヤーであるから、その制約以外の部分はできるだけ自由に決めたい。そんな気持ちがあるからこそ、設計者の根拠のないこだわりによる特別なサプライヤーへの要求にも、時に理解を示すのである。
あっ、その要求をすると高くなるのに、と思っても、それを設計担当へ戻して、見直しを申し入れるのでなく、サプライヤーへ要求するのである。仕様は設計が決めた=俺の責任じゃない、を枕詞に、である。
自由を求めるバイヤーに、一段と厄介な制約条件を突きつける、それが共同購買だと言ってよい。やり方も考え方も異なる法人同士が集まって、バイイングパワーを勝ち取るために、同じモノを購入する。問題は「同じモノ」だ。これをほんとうに同じくするには、多くの困難がバイヤーの眼前に次から次へと姿をあらわすのである。
もっとも一般的な困難は、こんなメーカーの直接材のケース。私は4社の共同購買を経験しているが、4社での共同購買の場合、単純に言えば4人がほぼ同じ機能を果たすモノを別々に設計してにもかかわらず、実際のモノをほぼ同じ仕様にしなければならないということが必要になる。
共同購買という同じ船に乗るのは良いけど「4社で一緒にやりましょう」と、ゆるい合意をした段階では、設計者というその船の初期段階の行く手を決める船頭は4名いることになるのだ。
それでは、船頭を減らす目的で幹事会社を1社決めるとしよう。その幹事会社が基本仕様を決定し、サプライヤーと調整して最終的に、共同購買用の仕様を各社に提示する。問題はここから先だ。機械の場合、一つの部品そのものが独立して存在して最終製品になるというものは少ない。取り合いが発生する。機能的な取り合い、スペース的な取り合い。
共同購買用の仕様では、たとえその部品を、安価をはじめとした好条件で購入できるとしても、取り合いの調整による設計見直し、関連部品の仕様変更等々、モグラたたきの様に別のコストアップが発生してしまう。コストの削減とアップのトレードオフがどのような結果を生むか。
そして、このようなプロセスが成立するかどうかがそもそも怪しい。メリットが確保できるかどうかもわからないアクションに対して、忙しい設計者が果たして時間を割くかどうか。これで窓口をまとめただけでは、いかに共同購買が画餅であるかが、ご理解いただけるだろう。
この原稿を書いている時点でも、共同購買関連のニュースが飛び交っている。共同購買を開始して最初に直面するこの船頭の多さに起因する問題にどのように対応するのか。その鍵は、次の3つだ。
(1) 共同購買対象製品は、現時点で購入しているモノ・サービスの機能・仕様(図面ではない)を比較し、コストドライバーとなる構成要素で、100%の共通性が見いだせるモノ・サービスを選定し、共同購買を進める
(2) 共同購買を、主従の関係が明確になっている法人で構成し実行する(親子会社、グループ会社間でのみ実行)
(3) そもそも直接財を、共同購買の対象から外す
(1)についての、共同購買参加企業各社間での調整は、困難を極める。理由は、各社こだわりの部分とは、独自の内容であり、各社にとっての製品差別化の源泉に他ならないからだ。それが市場に受け入れられていうかどうかは別にして、少なくとも設計者としてそのような自負は持っている。
そして、共同購買参加企業の各社は、購入側ではお互い手を取り合ってと誓いを立てている。しかし、自社製品の販売では、競争し凌ぎを削っている関係なのだ。かたや競争し、もう一方では手を取って甘い蜜を吸い合う関係。そもそも共同購買とは、その成り立ちにより大きな自己矛盾を抱えている手法なのだ。その矛盾が噴出している面がここなのだ。
ここで共同購買参加各社が持っている仕様面でのこだわりを「捨てる」ことができるかどうかで、共同購買の成否が決まる。実際に販売市場での差別化、自社製品・サービスの優位性の根幹がどこにあるのかを見極めることが必要なのだ。
ただし、何もかも捨て去ってしまっては、すてる代償で発生するコストによって、共同購買の意義が薄れてしまう。この見極めをどのように実現させるかがポイントとなる。
(2)は、各社の販売側での利害は一致を見る。そして共同購買によって得られるメリットにしても、連結決算をベースとすれば、その配分にこだわる必要もない(大抵は主が吸い上げるんだろうけれども)。
そしてその成り立ちに主従の関係こそが、意思決定とそれに伴う指示命令をもっとも行いやすくなるのだ。成り立ちが異なる集合体による共同購買との比較で、その運営は非常にやりやすくなる。
(3)については、間接材購買について、現時点でも多くのソリューションを提供されている。第三者に仕組みを提供してもらっても尚、メリットを見いだせるのであれば、それを利用しない手はないであろう。
そしてもう一つ大事な話。これまでに再三再四語っているメリットにしても、とっても悩ましい問題が存在する。複数社が参加する共同購買の目的が、購入量の増加によるバイイングパワーの発揮であることは疑う余地がない。そして参加した複数社の購買量は異なる。4社が参加していれば、4社共に異なったボリュームを購買しているはずだ。
で、あるならば、参加した法人間で既にバイイングパワーに差がついていることになる。この元々存在する、企業の実力を表したバイイングパワーの格差をどのように捉えるかだ。
共同購買のメリットをバイイングパワーの強化による購入価格の削減とした場合、具体的にバイイングパワーの差をどのように各社のメリットの配分へ結びつけるのか。
共同購買を行う集合体とサプライヤーとの間で行われる取引の価格は一つである。その価格をそのまま各社の購入価格とするのでは、元々一番バイイングパワーを持っていた共同購買参加企業が、購入製品・サービスあたりのメリットが一番少なくなるという結果をもたらす。
そして、共同購買参加企業は、自社の製品・サービスの販売では引き続き競合関係にある場合、元々バイイングパワーを持っている会社が、自社よりも劣る会社へ塩を贈ることにもなりかねない。そのようなスキームが継続的に実現できるはずもないのは明らかである。
今回は、共同購買実現のキーワードを
1)まとめる
2)すてる
とした。しかし、共同購買の馴れ初めが千差万別であるが故に、このまとめ方、すて方をどうするかによって成否が決まる。どちらのキーワードに関するアクションも同時に成立させることが必要なのだ。