なぜ仕事が遅い人がいるのか(坂口孝則)

なぜ仕事が遅い人がいるのか。あるいは、なぜ自分は仕事が遅いのか。
これは簡単な問いのように見えて、やや複雑な問題を孕んでいる。
まわりを見渡せば、昨今の実力反映給与の影響で、デキる社員とデキない社員の差は1.2~2倍ほどの差がついているはずだ。もしかすると、外資系などはそれ以上の同期間格差があるだろうが、日系企業ではそれ以上の差がつくのはまれだ。しかし、仕事のほんとうの実力差や効率差を見てみれば、そんなもんではない。1.2~2倍どころか、5倍、10倍の差があることだって珍しいことではないからだ。皮肉にも、格差社会といっても、個々人の能力差と比べると、まだまだ平等だといってもいい。

その実力差、というとき、それは仕事の早さと速さと無縁ではない。ここで、冒頭の問いがふたたび登場する。なぜ仕事が遅い人がいるのか。あるいは、なぜ自分は仕事が遅いのか。考えるに、その要因は三つに分解ができる。
・仕事のやり方を知らない
・仕事の作業そのものが遅い
・やる気がおきない
の三つである。このとき、最初の「仕事のやり方を知らない」はもっともわかりやすい。「守・破・離」という言葉がある。もともとは芸能から生じたこの言葉が指すのは、まず「守」だった。これは文字のごとく、一定のルールや仕事の形を身に染みこむまで繰り返しそれを「守」ることだ。どんな天才だって、無から完璧な状態を即時作り上げることはできない。先輩たちが試行錯誤してきた成果を借りることが大切だ。多くの仕事のできない人の特徴は基本的なことを知らないことにあるといってもいいと思う。この「やり方」とは思考方法も含んでいる。基本的なことを知らずに、応用業務はできない。たとえば、どんなに複雑な調達・購買理論を知っていても、製品の基本的な特性や情報、知識が無い時点で、まともな調達・購買業務はできないのである。

その次に「仕事の作業そのものが遅い」だ。これは、さまざまなパソコン系のテクニックを知ることで回避できる。これほど業務がパソコン中心になっているにもかかわらず、このパソコンに対して、「苦手だから」という一言で嫌悪してしまう人の存在は、私の想像を超える。それを克服せねばならないと分かっていながらしない。これは、その人が罹患した病理の一つだろう。パソコンなど道具に過ぎない、という人がいる。これは、道具やツールがその人の思考法や業務までも既定・拡張していくということを知らないがための倒錯だろう。ショートカットキーはできるだけ覚え、文系であってもVBAなどの知識を貪欲に覚えていく。これが大切だ。しかも、やってみれば、まったく難しくない。

最後に残ったのは、「やる気がおきない」である。これには一番難しい問題がある。10年同じ仕事を続けたいだろうか? こう自らに問うて、答えがNOであればおそらく現在の職を辞したほうがいいだろう、と私は思う。あるいは、その現状を変えるように真剣に試みたほうがいい。上司、周囲、いくらでも働きかける対象はあるはずだ。人間は必ず、自分が思う方向性に行こうとする。それは、多くの場合あてはまる。モチベーションとは、将来の期待とともに生じていく。だから、将来に気体がなくなった瞬間にそれを得るのは難しいだろう。

しかし、である。あえてもう一つの相反することも書いておく。さまざまな人がいるからどうしても現状に留まらざるを得ないこともあるだろう。事情が複雑に絡み合い、どうしても今のままの状況をしばらく続けなければいけないこともあるだろう。そのとき思っておかねばならないのは、モチベーションのあるときではなく、ないときに仕事ができるか、こそその人の真価を問われるときということだ。モチベーションのあるときに仕事などだれだってできる。そうではなく、モチベーションのないときにどれだけ人並み以上に仕事をこなすことができるか。それこそがプロの条件の一つだと私は思うのだ。

部下の仕事を評価するときも、モチベーションがあるときの仕事を見てはいけない。おそらく、もっとも良い評価は、モチベーションがないときでも、どれだけちゃんと仕事をこなせる責任感を持っているかだろう。そして、そのことを強く念じていることこそが、逆説的に日ごろのやる気をあげることにもつながるはずだ。

最近、「やりたいことを仕事にする」という言説だけが真理のように流布している。しかし、やりたくないときに、一流の仕事をすることこそが、ほんとうのプロであるように思えてならない。

好きなことをやる、のではなく、やることを好きになるという自己洗脳的な流儀も必要となってくるだろう。以前から私は「目の前のことだけちゃんとしていれば、それだけでいい」という言説に異を抱いてきた。それは、現状を肯定するだけで、なんら将来の変化につながらないからだ。しかし、最近、やっとその言葉の意味がわかって気がしている。「目の前のことだけちゃんとしていれば、それだけでいい」とは現状だけを肯定し、何ら変化を認めないことではない。むしろ逆に、それくらい目の前のことに集中していれば、誰かがあなたを違う世界に引っ張ってくれるという意味でとらえるべきものだ。

目の前のことにやる気がでなかったらどうするか。それは、その事実をまず認め、それでもまずやり始めるということにある。好きでも嫌いでもまずはやらねばならないことを自分にじゅうぶんに認め、自分の気持ちの持ちようとは無関係に仕事をすることがプロであることを自覚し、何でもいいからまずは手を動かしてみる。手を動かせば、周囲からは「誤解」されることも多いだろう。「アイツはやる気があるな」という誤解である。しかし、それは「誤解」のままでかまわない。その誤解されることこそ、周囲の目を変え、自分の意識を変え、仕事が遅いということの答えをもたらすものなのである。

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