悪口を言われて腹が立ちました

青色LEDを発明した中村修二さんは、勤務していた会社との裁判の和解後に、面談を求めました。中村さんとしては、和解になったことだし、会社とのわだかまりを解消しておきたかったのだと思います。

そのとき、その会社からの面談拒否の手紙は、なかなか強烈なものでした。「貴重な時間を弊社への挨拶などに費やすことなく、今回の賞・章に恥じないように専心、研究に打ち込まれ、物理学に大きく貢献する成果を生み出されるようお祈りしています」という、異常なほど皮肉の集合体でした。

これ、どうやって書いたのでしょうか。部門の部下が「課長、こういうの面白いんじゃないですかね」「うむ。皮肉が効いているな。わっはっは。ただ、部長に確認しておこう」とかいって、部長も「慇懃無礼でよろしい」とかいって承認したのでしょうか(完全な妄想)。

実は、私は、この面談拒否の手紙について、微妙な感想をもっています。というのも、私は会社側の立場でもありますし、そして社員の立場でもありました。だから、どうしても中立になってしまいます。痛快とも思いません。

しかし、この話を思い出すたび、自分がこんな手紙を受け取ったら、どうすればいいだろう、と考えます。

ところで、昔の話ですが、ある方と話していたときに、私が「現在、調達・購買関連の書籍を出したいと思っていて、企画書を出版社に出そうと思っている」と語ったら、「いやあ、それは難しいと思うよ。そんなに甘くないと思うよ。才能もそんなにあるかわからないし、やめたほうがいいと思う」と真顔でいわれました。

そこから私は企画が通って、書籍を世に問うことになります。それで、いくつかの書籍を発表したあとに、同じひとに会いました。場所は、その方のオフィスでした。あまり事業がうまくいっていない様子でした。すると、そのひとは私にむかって「ああ、やっぱり何も考えないほうがいいんだな」といいました。私は呆気にとられ、凄い発言をするものだと絶望的な気持ちになりました。

しかし、いまになってみれば、「事業が苦しくなって、他人を罵倒するくらいしか能がなかったんだろうな」と冷静に分析しています。それと、そのときに学んだのは、そのような場では、できるだけそれを反復しないことです。たとえば、「いや、才能はありますよ」とか「いや、考えていますよ」と語ってもバカみたいですよね。そうではなく、自分の気持ちを正直にいうのが一番いいと気づきました。「いやあ、ひどいこといいますね。ほんとうに嫌な気持ちになりました」と。私がそう感じたのは否定できない事実ですからね

きっとAI時代になっても、人間と人間のコミュニケーションはなくならないでしょうし、感情の整理が重要でありつづけるでしょう。そんなとき、「他人からどう思われようがかまわない」という選択肢はあっていいでしょう。しかし、「他人からどう言われようがかまわない」はかなり難しい。とはいえ、そこで反論しても、醜い争いになるのは見えています。だから、自らの感情を吐露するくらいは、あっていい。

現代、自分の感情を押し殺して、冷静にふるまうのが良いとされます。ただ、ほんとうにそうでしょうか。ストレスで死んでしまいますよ。だから、感情を出す訓練は必要だと私は、最近よく思うのです。

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