[要確認]自動車産業崩壊
かつてイギリスでは、1865年当時、自動車の最高速度制限があり、たったの時速6キロしか出せませんでした。60キロではありません。6キロです。正確には6.4キロで、歩くのが速かったほどです。それには理由が多くあるものの、「危ない」そして「他の産業が崩壊する」ためでした。
つまり自動車は当時、新興産業であり、既存のビジネスを破壊すると考えられていました。そして、そこから幾星霜。自動車産業が花盛りになったとき、イギリスだけは、産業として盛り上がりませんでした。また、モータリゼーションにも乗りおくれました。いまだに英国は製造業の国ではありません。相当なレベルで国家が製造業を誘致しましたが、後の祭りでした。
制約が、これほど一国へ影響を与えるのです。逆の例もあります。米国の例です。米国では路面電車が公共交通網から消えました。それは、自動車メーカーを中心とするロビー団体が消滅させたからです。そして米国は公共交通機関は、しばらくのあいだ、先進国のなかで技術的に遅れることとなりました(だからこそ日本の技術を買うハメになったのです)。
現在、日本では自動運転や配車アプリなどで、おなじ轍を踏んでいるように見えます。
テスラモーターズや、ローカルモーターズなどの例外を差し引けば、自動車というのは参入障壁が高く、なかなか新興メーカーがグローバルの舞台に立つことはありません。日本も大手自動車8社が基本的には競争状態にあります。そのいっぽうで、中国の自動車メーカーがなんとか檜舞台に立とうとしています。インドなど、他のアジア自動車メーカーも登場してくるでしょう。
しかし、テスラ、ローカルモーターズ、中国、インド……。これらの自動車メーカーが真の敵ではないと思うのです。それはあくまでハード(自動車という物体)の闘いにすぎません。もっと深刻なのは、移動サービス企業との闘いです。たとえば、Uber、そして米国のアマゾン。彼らは、ハードではなく、人とモノの移動そのものを販売しています。クルマを買わなくても、移動ができるのです。自動車のシェアや、貸し借りを仲介するこれらの企業が、完全にマッチングさせてしまえば、自動車の数は現在の6割で済むといわれます。
逆にいえば、自動車メーカは4割の生産が減ってしまうのです。オートモービル(automobile)、といいますが、これまではAUTOmobileと「AUTO」が重視されてきました。しかし、これからは、autoMOBILEなのです。「MOBILE」移動そのものがビジネスモデルの中心になっていくのです。
そのとき、モノを買ってきて納品するだけの調達・購買部門の姿が大きく変わることは間違いありません。量を背景にしたコスト交渉はもはや通じず、少量生産のなかで付加価値を求められるのです。単純なコスト削減では行き詰りがやってきます。これができなければ、雪崩を打つように自動車産業が崩壊するでしょう。もちろん、自動車産業とは比喩で、日本の全産業がかかわる話です。
少量生産における理論的なコスト削減を追及する時代がやってくるのです。