地獄の日々④

以前は私はサラリーマンでした。会社を作ってから、前の職場環境ともっとも違うのは、次の一点に集約されます。「給料が出ないのです」。

もちろん会社ですから形上は支払われます。しかし自分で出資したお金から自分の口座に振り込むわけですから、何の意味ももちません。以前であれば、自分が稼げなかったとしても、他の社員が稼いだ分を給料としてもらうことができます。それはサラリーマンであれば誰だって一緒でしょう。しかし未来調達研究所を作ってからは、会社がなかったら給料が無いのです。これは当たり前ですが衝撃的なことでした。机上だけで学んでいると、資本金が貸借対照表に記載されており、資本金なんてなくならないような気がします。しかし資本金とは実際は貸借対照表に記載されているだけで、金庫にあるわけでもありませんし、すぐになくなってしまうのです。

よく起業物語では、独立して興奮したと書かれていますが、私には不安しかありませんでした。何をやるのも自由。しかしその自由というものは、大きな責任が伴うのです。ご存知の通り、私が行っているのは当時、コンサルティング業務とそして講師業しかありませんでした。 相手が依頼してくれないとは何の仕事にもならないのです。今ではDVDを販売したり、他の仕事もしていますが、その当時はその二つの商品しかありませんでした。

しかも私たちには机とノートパソコンしかありません。あまりに自由だと不自由になってしまうという矛盾がここにはあります。そこで私がやったことをご紹介しましょう。まずホームページから全国の商工会議所の住所を引っ張ってきました。商工会議所に講演をさせてもらおうと思いました。そこで全国の商工会議所に、自己紹介やそしてどういう話ができますとチラシを送ってみました 。返事は1件もありませんでした。もちろんやっとそうやって取れた仕事も商工会議所の場合は3万円ぐらいにしかなりません。そもそも先生の立場の人間が、自分に講演させて欲しいとは奇妙な話です。

その次に恥を忍んで、知り合いのコンサルタント先生に仕事がないかお願いに行きました。そうすると「今度、無料で講演をやってくれ」と言われました。無料なので変な話ですが、「話が面白かったら仕事が来るかもしれない」と言うのです。窮していた私はその話に乗り、二週間後に講演をしました。

そうすると奇跡としか言いようがないのですが、実際に簡単な仕事が決まりました。私のノウハウを使って、ビジネスモデルを刷新するというコンサルティングでした。たしか1週間以上は働き続けた気がしますが、価格は20万円に過ぎませんでした。しかも20万円のうち、10万円は、その紹介者である先輩コンサルタントにお支払いする契約になっていました。

今から思えば相当な不平等契約です。しかし、それでも当時の私は、それしかやることがなかったので必死だったことを覚えています。

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