大企業脱藩日記③
大企業を辞め、小企業で働きはじめた私は試行錯誤のすえ、月額会員サービスを開始することにした。どういうサービスかというと、月額で一定額を支払ってくれれば、講義などが聴き放題だし、資料なども提供するというもの。
しかし、これも問題が山積した。というのも、ずっとコンテンツをアップしようとすると、できるにはできるのだが、どんどんマニアックな話をせざるをえなかった。たとえば原価計算でも、指数分析とか、誰も調達担当者が使わないレベルのものだ。さらに困ったのが、お客が極端に少なかった。たしか2社か、3社くらいだったと思う。初回は無料だったのにこのありさまだった。
おそらく、いまからならば反省点を思いつく。というのも、企業は特定の困りごとについて解決策を模索する。べつに「漠然と教育コンテンツを見たい」わけではない。そのときはコスト削減かもしれないし、違うときはサプライヤマネジメントかもしれない。セミナーならまだしも、漠然としたニーズにお金は払わない。だからこそ私は未来調達研究所を設立するときは、それぞれの教育DVDを発売しようと考え実行した。これならときどきのニーズに対応できる。結果は大成功だったが、このときはまったく思いつかなかった。
数ヶ月たったとき、「これはお客を見つけられない」と考えたので、もう終わりにしたかった。毎日のように悩み、給料はそのまま残しておいた(貢献していないから、返金しようと考えたのだ)。独立しようとするひとは、これくらい悩み続け精神的におかしくなる場合も想定したほうが良いと思う。
さて、とはいいながら、同時進行でテレビの仕事をはじめていた。きっかけはひょんなことで、「がっちりマンデー」にたまたま出たら、プロデューサーが「あなたは面白い」といってくれ、レギュラー番組を用意してくれたのだ。とはいえ、「がっちりマンデー」出演時にも苦い思い出がある。よくテレビに出たら反響が凄いですよ、といわれる。「がっちりマンデー」にはたくさんのゲストが出て、そのなかで私がもっとも多く映った。それで、会社のホームページを更新しておいた。「TBS『がっちりマンデー』をご覧のかたへ」と、そこから仕事を呼びこもうとした。視聴率は10%だったから、相当な数のひとが見たはずだ。しかし、会社を検索してわざわざホームページまでくるひとは、なんと200人にすぎなかった。だから、私はそれ以降「テレビが人生を変える」とか「書籍が人生を変える」といった言葉は半分しか信じていない。
ただ、勉強になることは多かった。用意いただいたレギュラー番組は「がっちりマンデー」ならぬ「がっちりアカデミー」というものだった。そこで、森永卓郎さん、勝間和代さんをはじめとする多くの文化人と出会った。飯田泰之さんともそこで出会った。テレビに出演できる法則など存在しないが、ひたすら一つの分野で情報発信を続けていれば、こういう機会を与えてもらえるのだなあ、と感慨深かった。たまに「インプットとアウトプットのコツはなんですか」と聞かれるけれど、努力しかない。凡人の努力を遥かに超えて考えつづけ行動つづけるしかない。さて、勉強とは、文化人の「頭の良さ」だった。何を質問されても答えられる。あるいは、ごまかしつつも、なんらかの面白いコメントをいう。これはきわめて刺激的だった。
当然だが、文化人はそれなりの準備のうえ番組に臨む。準備をしなくてもよいけれど、本番でダメだったら、もう呼ばれない。「森永卓郎さん、勝間和代さんをはじめとする多くの文化人と出会った」と書いたが、当時テレビに出演しているひとで、いまも出演しているひとは、少ない。そう考えると日々の努力を欠かしてはいけないように思う。
テレビの収録は成城学園前駅の近くだった。移動の直前まで、「あああ、仕事どうしようかな」と悩み、スタジオに入ると、「何を語るべきか」と悩み、終了後は「なんか仕事ないかな」と考え続ける毎日だった。振り返っても、当時の精神状態はギリギリだったように思う。