某社の酷いコスト削減手法の清々しさ(坂口孝則)
以前、倫理学者たちを対象とした実験がありました。「他の学者たちとくらべて、大学図書館から借りた本を、期日通りに返却しているか」というもので、結果は「倫理学者たちのほうが遅れて返却している」であり、笑った記憶があります。倫理を研究しているのに、公的な約束を守れないなんてね。
私は、コスト削減だとかコスト抑制を主業務にしている調達・購買部員のひとたちの預貯金額が、他の部員とくらべて多いのか研究したいと思っているのですが、データが探せずにいます。
ところで、趣旨ではありませんので、これから固有名詞は省きます。以前、報道されたところによれば、某自動車メーカーの首脳陣が中国に出張に行った際に、現地スタッフに激怒したようです。その理由が、おもてなしがあまりに豪華だったから、というもの。
現場ではネジ一本を生産するのも必死にやっているのに、接待の場では、あまりにコスト意識がない、と激怒なさったようです。もちろん、中国側からすれば、首脳陣がやってくるので、礼儀を尽くしたまででしょう。しかし、生産現場は1銭にもこだわるのにたいして、ここではコストを垂れ流している、と指摘なさったようです。
なお、その企業では中国のモーターショーで、コンパニオンを雇わなかったそうですが、それも費用対効果が見えなかったから、だとか。さらに、モーターショーの備品類についても、激しいコスト精査をしたようです。
報道では「やりすぎ」といった文調でした。しかし、私は、どこか清々しさすら感じました。そもそも私はどんな上のひとが相手でも、過剰な接待をするのには反対しています。それに、費用をかける以上は、どんな場面であっても厳しく見るのは当然です。
コンパニオンを雇わなかったことについて、否定的な意見もあります。一見ムダのように感じる支出が大事なんだ、と。企業から遊びがなくなったらおしまいだと。ただ、それなら、もし効果が見えれば復活させればいいのではないでしょうか。問題は、効果も検証せずに、なんとなくダラダラと続けるほうではないでしょうか。
会社のなかで「何かをはじめる」ばかりが注目されていますが、重要なのは「何かをやめる」ことではないか、と私は思います。コスト削減でも要諦は、より安くする、よりも「やめる」が効果が出るのは間違いありません。それが、調達・購買部門の成果としては顕在化しないにしても。
私はつねに「新しい方法を探すよりも、常識で考えたほうがいいですよ」と述べます。常識、こそが戦略なのです。