悲しくて泣いた調達コンサルティング経験

あのときの感情をどう表現したらいいでしょうか。

私が、コンサルティングで某社にはいったときのことです。多くの会社からは、最初に、コンサルティングのメンバーだけではなく、全部員にたいして、キックオフの講演をするように頼まれます。

そのとき、私はいつものとおり、これまで自分がいかに調達・購買業務に命を賭してきたかを話します。新人のときに考えたこと、社内での葛藤、障害、制約、そしてどのように涙を流しながら改善しようと試みてきたか――。

しかし、ほとんど反応がないのです。もちろん日本人ですから、立って拍手をしてくれたり、大きなアクションをしてくれたり、という意味ではありません。聴いてくれているひとが、真剣に聴いてくれたり、笑顔になってくれ目を合わせてくれたり、という反応は手に取るようにわかります。ただ、その組織では、「はいはい、また部長がくだらない取り組みをはじめたのね」という雰囲気に充満していました。誰もがうつろで、停滞感にあふれ、そして、やるだけ無駄だ、という無言の空気に私は押し潰れそうになりました。

私は、勇気を出して、訊いてみました。「どうも、私は歓迎されていないように感じます。歓迎されていると思っていいでしょうか」。そのときの、その場の、無言は、どのように表現するべきでしょうか。

きっと現代の調達業務における哀しみの特徴は、効率だけを追い求めて進むことをやめない企業活動のなかで、その存在意義が問われることなくただよっている点にあるように思います。上司は、調達業務がこれからは重要だと説き、しかしながら、現実では現業部門からないがしろにされている部下たちがいる。さらに、誰も、調達部門に心を寄せずに、多忙さゆえに、誰も立ち止まろうとしない。

私はさらに勇気をだして、一人を指して訊いてみました。「この部門の問題点を教えてください」。すると、皮肉っぽい表情を浮かべながら、ヘラヘラと彼は話し出しました。「部門としてのビジョンも、進むべき方向性もわからない。これじゃあ、誰も何もできませんよ」。

完全にそれは、他人に責任を転嫁する態度でした。私は即答しました。「それなら、あなたは、他人に自慢できるビジョンや夢があるんですか」。彼は無言になりました。きっと、通常のコンサルタントならば、その場をやりすごして、適当に仕事を進めて、請求書を発行すれば良いだけでしょう。しかし、私はそれができなかった。属する組織を批判できない弱虫はときに弊害です。しかし、おのれができないことを差し置いて、組織ばかりを批判する無能は、もっと弊害だからです。

もしかすると、不毛な闘いかもしれません。でも、私はこの闘いをやめないでいようと思います。私たちの業務は高貴な仕事であることを証明するまでは。

(今回の文章は坂口孝則が担当しました)

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