調達は水戸黄門を信じてはいけない
景気は良くなっているとされているものの、現場感覚としてはさほどではありません。もっというと、実務的にはもっと苦しくなっている。調達改革も進んでいない。調達の地位向上も道半ばだ、といった感想をいだくひとは多いのではないでしょうか。そこで、現場の方々に「現状の問題点はなんだと思いますか」と訊くようにしています。しかし、驚くのは、そこで返ってくるのが、「??」といったものなのです。
それは、たとえば「部長が打った手が悪い」とか「会社全体の方針がはっきりしない」とか「業界全体の慣習が古い」とか、そういったものです。つまり、自分たち以外の何かが悪いと定義することで、「そうなんだよね、自分たちは悪くないんだよね」と安易に落ち着いてしまうのです。自己責任を回避してしまっています。私はあえて、責任を回避ばかりする部下をもつ上司(部課長やそれ以上の方々)に同情したいと思います。
もちろん、部長や会社や業界が悪いかもしれない。でも、実際には自己範囲のなかでやるべきことをやっていないひとたちが圧倒的なのです。
だいたい、この複雑系の世のなかで、「これが悪い」と単純化できるはずはありません。世のなかはずっとからみ合っています。水戸黄門のように、正義と悪の二項対立ではないのです。水戸黄門のような印籠にすがって、「そうだ、そうだ、あれが悪いんだ」と簡単に信じこまないようにしたいものです。
調達の地位向上を、と叫びながら、自分ゴトとしての意識がなければ、そりゃ地位なんて向上しません。2015年に感じたのは、古くて新しいテーマでした。それは、いまだに調達が自意識を強くもって業務遂行できていない、といった問題です。
しかし、他人の責任にしてしまい、自分ゴトだと考えないのは、個々人の責任ではありません。組織の構造だ、と私は思います。私は冒頭で「商品を企画して、作って、売って、といったサイクルを異常なほどに早く速くまわさねばならない時代」と書きました。とすれば、おそらく答えは、これ以降の企業組織はできるだけ細かなグループを作ることでしょう。つまり、課をさらに解体し、小さな小さな、だけど機敏で責任を明確にもたせたグループをつくること。
他人のせいにできない仕組みづくりです。私の師匠は、「ラーメン屋がもっともよい組織だ」といっていました。みんなが必死に走りまわる。そこに他人のせいにする余地が無い。だからラーメン屋が良い、というわけです。
ここまで意図的に抽象的に書きました。では、その細かなグループを作って、責任をもたせる調達組織づくりとは……。それについては、考えるところがありますので、おって書いていきたいと思います。まずは、「調達人員から水戸黄門の印籠を剥奪せよ。そして、調達組織はラーメン屋を目指せ」とだけ書いておきます。「調達改革はラーメン屋からはじまる」。