スレイヤー 日本ラストライブ2019年3月21日レビュー
ひごろ、テレビのコメンテーターとかコンサルタントとかやっているくせに、メタルをずっと聴いている。2019年3月21日、幕張メッセでのダウンロードフェスタに行ってきた。これは、スレイヤーが日本で行うラストライブになるはずだ。
個人的な話では、スレイヤーは10代から聴いており、ある種「青春の終わり」を象徴する。ダウンロードフェスタの開催が決まった際、高校からの知人でライブへの参加を決めた。私たちは10代からの人生がすべて順調だったわけではない。しかしスレイヤーのライブへ行く計画を立てるときは、むかしのままだった。
当日、私たちは再会を懐かしみながら、どうしても最終目的がスレイヤーであることを、隠すことはできなかった。もちろん他のバンドも素晴らしいはずだけれど、私たちにとっては、スレイヤーが、あらかじめ定められた最高であるはずだったし、そうあるべきだった。
十代のときに憧れて、その後、配偶者よりも長く付き合い続け、遠ざかる決意と偶然がないままに腐蝕してしまったものとの別れが近づいていた。
ダウンロードフェスタがはじまった。マン・ウィズ・ア・ミッションは素晴らしかったし、アーチエネミーは圧巻だったし、アンスラックスの安定さは興奮を覚えた。ゴーストのショーは見事だったし、SUM41のパフォーマンスは魅了するに十分だった。しかし、それでも、私たちはスレイヤーのステージだけを心待ちにしていた。
そして、私たちはついにスレイヤーのステージ開始を目の前にする。
【スレイヤー セットリスト】
Repentless
Blood Red
Disciple
Mandatory Suicide
Hate Worldwide
War Ensemble
Jihad
When the Stillness Comes
Postmortem
Black Magic
Payback
Seasons In The Abyss
Born of Fire
Dead Skin Mask
Hell Awaits
South Of Heaven
Raining Blood
Chemical Warfare
Angel of Death
演奏がはじまって、その完璧さに、私はなにか目眩を覚えるほどだった。そして、私はスレイヤーの演奏を聴きながら、おおげさにいえば、私は十代からこれまでの人生を振り返っていた。
もしかすると、30代以降になって新しく出会う音楽とは、かつて味わい楽しんだ音楽の再来かもしれない。新たな音楽を感じ、そして、試行錯誤のなかで、嗜好が形作られる。しかし、そこには、なかなか、一筋縄ではいかない意味がある。若いころは、文字どおり新たな音楽との出会いの重なりから、新たな喜びをもたらす音楽を感じることができた。しかし、30代以降になると、新たな音楽であっても、昔の好んだ音楽のなかからふたたび、好みと文脈を見つけてしまう。
話をスレイヤーに戻す。トム・アラヤはヘッドバンギングしなくなっても、その凶暴な歌声は健在だった。ポール・ボスタフはタイトなリズムを続けていた。ケリー・キングは、終始、邪悪なフレームを演奏し続けていた。
「War Ensemble」で私たちは狂乱し、「Black Magic」で興奮し、「Raining Blood」で陶酔し、「Angel of Death」ではなぜか涙した。
私は電撃をうけたように、彼らの演奏にただ、ひたすら打たれ続けていた。それは、たぶん音楽以上の何かであったにもかかわらず、それが何であるのかわからないでいた。ただ、もう二度と来ることがない哀しみを、ひたすら思いつめていた。
そして、スレイヤーのライブは、私たちの敗北だった。スレイヤーは、文字通り、それまでの既得権と権威を殺した。それは撲殺史であったのと同時に、新しい時代の幕開けだった。何かは死に、そして、何かが生まれた。
しかし、その後、私が思うに、メタルは単に個々のジャンル定義わけにばかり傾注し、革新的な音楽を生み出さなかった。スレイヤーは速さを求め、暴力を求め、絶叫を求めた。モダンヘヴィネスに偏ったこともあったけれど、そのスタンスは一貫していた。
スレイヤーは、何かを殺してくれたけれど、私たちはその後に偉大なるマンネリだけを求めた。そして、メタルはインテリだけが聴く凡庸に成り下がってしまった。そして、私のようなおっさんだけが集い、新たな血液が循環することもない。なるほど、その血液の停滞をスレイヤーが、アルバムジャケットで繰り返し表現していたとしたら面白い。
ライブの途中、ポール・ボスタフの背面から、ライトが客席に照らされた。まるでその光は、神のようだった。スレイヤーは神殺しをしたはずだが、逆説的に、その時代の神であったのは明白だった。そして、その輝きゆえに、逆説的に、スレイヤーという神が自ら殺されることを希求しているようにも思えた。
「Angel of Death」が終わって、トム・アラヤが最後のセリフをいって、ライブが完全に終わった。しかし、ファンの大半はその場を離れられずにいた。自分の何かが確実に終わってしまったのは明らかだった。
もしかしたら私たちは「人生とはこんなものさ」と納得しあわねばならない年齢なのかもしれない。しかし、スレイヤーを前に、汗をかき、酒でほてり、両手を振り上げた私たちは、その諦観と情熱の中間にいた。
私が十代のとき、スレイヤー「レイン・イン・ブラッド」を聴いて衝撃を受けた。何もかもが最高だった。十代の私が聴いたのは、大げさにいえば、すべての可能性だった。そこには、それまで両親が教えてくれた安全な音楽とはほど遠く、そして、なにをやってもいいという世界への承認があった。
しかし、2019年の3月に、それが終わるとは予想もしていなかった。
淋しかった。
(文責:坂口孝則)