地獄の日々①
それまで勤めていた企業と、距離をおいて、コンサルティング会社を作った。私はそれまで、製造業→製造業→コンサルティング会社、と働いて、次に、コンサルティング会社を起業した。
それで、起業することになって、当たり前なのだが、お客を探さなければいけなかった。コンサルタントは偉そうな、机上の空論ばかりをいっていると思っている人がいる。それは半分は正しいけれど、半分は正しくない。というのは、偉そうなことをいっても、結局は、お客がいなければ、食っていけない。
私は当時、麹町のマンションの一室にいた。また、起業といっても、三人で開始したので、私の一人の会社ではない。しかし、この恐怖はわかるだろうか。それまで、私はコンサルティング会社で、給料をもらっていた。それがなくなる。これからは、稼がなければ、給料の原資がないのだ。
繰り返すと、私だけの会社ではない。ただ、結局は売上がないと、給料を払えないのだ。
よく、起業の書籍などで「起業した初日は、清々しい気分だった」と書かれている。しかし、とんでもない。私などは、いったい何をしていいかわからずに、暗くなってしまったほどだ。
以前の会社から引き継いだクライアントはほとんどない(正確には一社のみあった)。だから、自分の給料を払えるほどではない。「どうしようか……」そう考えた。
当時、妻に相談したのを覚えている。「どうしようか……」。すると、「なんとかなるんじゃない」とだけ返ってきた。
それから、無数の試行錯誤は、あまりに多くて覚えていない。
ただ、二つ、大きな出来事は覚えている。
一つ目。ほんとうに来月から、どうしようもなかったので、あるお客さんに頭を下げにいったのだ。「なんでもいいですから、仕事をください」。私があまりに悲壮的だったのだろう。翌日に「こういう仕事なら、まあ発注できるよ」とメールが来て、すぐさま、ありがとうございましたと連絡した。
二つ目。自分の知識をセミナーとして、広めることができないかと考えた。そして、ものすごく勉強した。どういうセールスレターを書いたらひとが来てくれるか。どういう価格帯だったらいいか。「ものすごく勉強した」と書いたが、たしか書籍を130冊くらい買ってきたのを覚えている。それで、それまでお世話になった人の全員にメールを書いた。
つまりは、「必要は発明の母」だった。
そういうわけで、なんとか起業後に、七転八倒しながら、稼働させていった。起業したばかりの人が「うまくいかない」というと、さすがに「努力が足りないのでは?」と思ってしまうのは自分の、そんな経験があるからだ。