お読みいただきたい、涙の調達・購買業務について
なぜ働くのか、という青臭い自問は、ずっとずっと続けたほうがいいと思います。多くの調達・購買関係者は、自分の仕事を愛していないように思います、だから、なぜ働くのか、と訊くと、「生活のため」としか答えられません。でも、ほんとうでしょうか。有効求人倍率を見ても、あなたが他の仕事を見つけられるのは自明ではないでしょうか。
そして、おなじく「調達担当者はなぜ、コスト削減をするのでしょうか」と質問してみます。もちろん、「会社から定められた目標があるからだ」とあなたは答えるかもしれません。ただ、なんのための目標なのでしょうか。それは、組織のため、安価な製品を市場に提供するためです。では、なぜ組織のため、製品のために行動する必要があるのでしょうか。それは、自分が働くうえでその組織の理念に共鳴したからです。
いま、なぜそこで働いているのか。この根源的な理由を失念しないほうがいいと思うのです。
でもね、そう建前ばかり信じることはできませんよね。「泥臭い仕事ばかりだ」「社内の地位が低い」「上司が目標ばかり求める」「ときには人格も否定されてしまう」など、現実はうまくゆかないことばかりだからです。
最近は、多くの人がウツ状態になってしまうといいます。しかも、それは人間関係に起因するものです。上司が誰かを叱るとき、その相手が「か弱くなった」ことはありえます。ただ、上司の多くは、部下の成長を祈っていることがほとんどです。ただ、言い方が強いばかりに、部下は必要以上に強く受け止めてしまうのですね。それが「ときには人格も否定されてしまう」という感想につながっていきます。
くだらないと思うかもしれませんが、数年前に、ある方からお聞きした話を書きます。
その上司と部下は、調達部門で長く仕事を続けてきた二人でした。その上司が、ご定年で会社を辞することになったときのことです。その上司はそれまで部下にあたり散らしては、嫌われていた人だったようです。ある部下(この話の登場人物です)は、上司の定年にあわせて、不平不満をつらねた手紙を送ってやろう、と画策しました。これまで苦しめやがって、馬鹿野郎、というわけですね。
しかし、部下はその手紙を書いているうちに、どうも不平不満を書けなくなった。去り際にそんなこと書いてどうするんだ、という想いもよぎったのでしょうか。手紙を書けずに、上司の退社日を迎えてしまいました。
すると、逆に、上司が部下の一人ひとりに手紙を渡してくれたそうです。強がる人だったためか、「手紙はあとで読め」と部下に指示したそうです。
上司が去って、その部下は自宅で手紙を開けました。その部下は読んで泣いてしまったそうです。自分が不平不満を書こうとしてしまった反省もあったかもしれません。そこには、こう書かれていたようです(伝聞なので原文ではありません)。
・これまで厳しく指導してきて悪かった
・自分は昔、もっと強い指導を受けてきた。
・そのとき、「こんな上司にはならないぞ」と願ってきたが、自分がそうなってしまった。
・ときには感情に任せたときもあった。申しわけなかった。
・ただ、真剣に君たちを育てようとしたことだけは信じてほしい。
・苦労に苦労を重ねた人と、気楽に仕事を続ける人とでは、人間の質が異なってくる。
・厳しく育てられ自ら生きて行ける人、そして甘やかされて育てられ一人で生きてゆけない人。
その教育のどちらが、ほんとうの「やさしさ」だろうか。
・今後も、君たちにうわべの優しさをふりまこうとする人たちがいるだろう。
君たちには、ほんとうの「やさしさ」と「まじめさ」を見抜く力をつけてほしい。
・君たちの成功を心から祈っている。
部下がこれを読んだのが、不覚にも残業中だったようで、ついトイレに走ったようです。部下は号泣してしまったんですよね。何もいわずに、自分を見守ってくれるひとがいる。その幸福に気づくことはありません。でも、少しでも気づいたら、自分だけのためではなく、みんなのために優しくできるかもしれません。
経験とは、加齢とともに増え、それだけは若輩者がどうやっても追いつけないものです。いまこそ年長者の熱のはいった本気の説教を聞きたい、と思うのは私だけでしょうか。説教とは、いつの間にか、忌避すべきもの、うざったいもの、になってしまいました。しかし、真剣な、成長を促す説教こそ、いま必要なのではないでしょうか。
感動する組織づくりは、年長者のちょっとした勇気からはじまるのかもしれません。
変えなければならない、変えなければならない、現状があるのです。