「お前、いいね!」といわれるために。(コンサルティングとセミナー私論)
コンサルティング会社には、「製販分離」が難しい問題がある。これは、つまり、コンサルティングのサービスを宣伝し販売するひとと、そして、実際にコンサルティングを実施するひとを分離できない意味だ。
たとえば、私が講演や雑誌で調達コンサルティングを語る。そうすると、顧客からしてみれば「あなたが気に入ったから声をかけた」となる。しかし、実際に他社員が訪問すれば、「あなたじゃなくて、坂口さんに来てほしかったんだよ」となる。
これは、私だけが素晴らしいのではなく、逆もしかりだ。他社員が気に入ったのに私が行けば、「ちょっと違うんだ」と感想をもたれる。システマティックに運営する大企業は別にして、中小のコンサルティング会社は、多かれ少なかれ、おなじような悩みを抱えている。そして、私の苦悩も、この点にあった。
そして、正直に告白しておけば、私はもはやこの問題の解決を放棄せざるをえないかな、と思っている。つまり、もうすべてを一気通貫で行わざるを得ない、という諦観がある。
しかも、それは必然のような気がする。私たちは、「モノからコト」の次に「コトからヒト」の時代に生きている。つまり、誰かを信じてみたい、という衝動にも似た感情こそが、働く原動力になっている。だから理論よりも、誰が言っているのかが重要であり、あのひとがいうならやってみようかな、と思う。
なので、私はかなり意識的に、経験を重視している。私たちは、資本主義の社会にいる。前提となるのは、等価交換だ。1万円を払うのだから、1万円の価値があるものを提供しなければならない。もしそれが1万1000円の価値があればなおいい。未来調達研究所は、たとえば、コンサルティングを注文してくれたり、セミナーを申し込んでくれたりする方々に、その責務を負っている。
ただし、話を戻せば、私たちは「コトからヒト」の時代に生きている。ということは、私たちは、1万円を払ってもらったひとに、1万1000円の価値を返すだけではなく、想像もしなかったような付加価値を提供しなければならない。
だから、私は、調達・購買のセミナーでありながら、調達・購買のコンサルティングでありながら、余計な私にしか話せない冗長さをあえて挿入する。私の仕事に立ち会った方ならご理解いただけるように、「哲学、思想、世界経済、科学、技術、笑い」をできるだけふんだんに話にいれておく。
趣旨からいえば話すべきでもない内容。それを、あえて入れることで、他にない経験を醸成する。
たぶん、これを理解いただけない方が大いにちがいない。コンサルティングなのだから、セミナーなのだから、目的を達成する内容だけ教えればいと。それはもっともだが、私は、過剰な逸脱こそ、新たなアイディアを想起するものだと信じている。教科書的な内容だったら、それは本でも読めばいい。でも、ライブでしかできない、興奮を呼び起こす力があるに違いない。
そして、もう一つ。こういった、サービスを提供するためには、顧客とのある種の「戦略的癒着」が必要だ。暴言を吐いても、ちゃんとしかるべきことはやってくれる、という安心感。そして、その逸脱を創造するための余裕。顧客の安定性だけではなく、こちら側の安定も重要だ。
たとえば、こういったややこしいことを、社内のスタッフが理解してくれることが重要で、これはなかなか誰もがやれることではない。スタッフが入れ替わりすぎたら、そもそも私がやりたいことは理解されない。私は、「くだらない仕事ならやめてしまえ」と思う。思うけれど、くだらないと思わせない仕組みが重要だと思う。
さらにいえば、これはどんな組織でも同じではないか。顧客を安定化させ、そして、提供するサービスの質を安定させること。さらに、その質をすこしでも、じょじょに向上させること。
現在、効率的だとか、科学的だとか、理論的だとかいうことが重視されている。私もそう思うし、片棒を担いできた。しかし同時に、人間性のコアとなるところは、そんなに簡単に割り切れるものではない。だからこそ、効率性を超えたり、理論性を超えたりしていくしかない。それは、何度か繰り返すとおり、人間のむきだしに接することだと私は思う。
「よくわからない。でも、面白い」。こういう言葉を聞けるように、私たちは努力しようと思うのだ。